日弁連はもっと文句を言うべきだ(その3)

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 次に、自由競争の過程で生じる問題点について。

 

 弁護士業にも自由競争を導入すべきとする論者は、不適格な弁護士は法的処理に失敗するなどしてその噂が立つだろうから、そのうち誰もその弁護士に頼まなくなるから、質の悪い弁護士を排除することに役立つと述べる。お医者に例えると、「藪医者」と噂の立つ病院には誰も行かないだろうということになろうか。

 

 しかし、不適格な弁護士と判断されるためには、法的処理に何度も失敗するなどしてあの弁護士はやばいという噂が立たなければ、その弁護士は排除されない。その噂が立つまでの間にその弁護士に依頼した人の利益は全く保護されないことになる。弁護士に事件を依頼しようとする人は、まさに人生の一大事を専門家に依頼して一緒に戦おうとしているはずである。そのようなときに、弁護士の資格を信じて依頼したのに、「あなたの依頼した弁護士は、不適格弁護士でした。運が悪かったですね。」で、すまされたらたまったものではないだろう。

 

 裁判で白黒つけるしかないという最後の土壇場で、依頼する弁護士が信頼できるかどうか分からないという状況が本当に正しいのだろうか。

 

 この点、大企業は資金もあるし調査能力もあるので信頼できない弁護士には依頼しないだろう。しかし、仮に大企業に訴えられた場合に、自らを守るために依頼する弁護士が信頼できないかも知れないとしたら、一般の国民の方は、一体誰に依頼すればいいのだろうか。

 

 つまり、自由競争は沢山の人に弁護士資格を与えて、競わせ、優れた弁護士だけが生き残ればいいという発想であるが、競わせる過程で犠牲になる人のことを全く考えていない発想なのである。

 

 また、先に述べたように優れた弁護士かどうかの判断は依頼者の方には困難である。勝訴率で比較できると考える某大学教授もいるようだが、弁護士実務の実際を知らないナンセンスな考えとしかいいようがない。

 例えば、国家に対する訴訟のように勝ち目は低いがどうしても依頼者がかわいそうでなんとかしたいと思って、訴訟を引き受けることの多い弁護士は、勝訴率は低くなるだろう。一方、もともと勝ち筋の事件しか引き受けない弁護士であれば訴訟の勝訴率は圧倒的に高くなるだろう。この場合、両者の優劣の比較はできない。むしろ、勝ち目の低い事件をいくつか勝訴まで持ち込んだ前者の方が、弁護士として優秀な場合もあるはずだ。しかしそのことは勝訴率を基準にした場合には、誰にも分かってもらえないだろう。このように、某教授の発想は、弱者のために頑張ってきた弁護士を自由競争により、排除してしまう危険すらある考えなのだ。

 

 

 さらに、新司法試験合格者の爆発的増加と法科大学院の機能不全により、基礎的知識の不足する司法修習生が見られるようになってきていると指摘されているが、その大部分が弁護士になる事実を自由競争を導入すべきとする論者は見落としている。

 つまり、仮に弁護士業務に自由競争が機能して、不適格弁護士が排除される事態が発生したとしても、排除される数を上回る勢いで、今まで以上に基礎的知識の不足の危険がある弁護士が大量に増産されてくるのだから、弁護士の淘汰はいつまでたっても終わりはしないのだ。

 

 更に加えるならば、こんな点も問題になる。

 

 先にも述べたように、弁護士資格を乱発して自由競争にまかせた場合、弁護士のレベルにばらつきが生じていても、大企業は弁護士を選択するのに困らない。資金も情報も調査能力もコネも持っているからだ。

 しかし、一般の国民の方々はどうだろうか。弁護士を選択するのに必要な、資金も情報も調査能力もコネもない。弁護士のレベルにばらつきがある場合には、不適格弁護士に依頼してしまう危険を、常にはらむことになる。

 


 結局、弁護士業務を自由競争化させるべきだという主張は、その裏に、「社会的強者は弁護士業務が自由競争にさらされても、良い弁護士を選べるので、全く被害を受けない。一般国民が不適格弁護士を選んでしまうリスクがあっても、それは資金も情報も調査能力もコネもないのが悪いのであって、弁護士を選ぶ時点から勝負ははじまっている。」という弱肉強食の思想が流れている、と考えることもできそうだ。

 

 そもそも、裁判の世界は、社会的な力関係に左右されることなく、法的に見て客観的に筋の通った主張をする方を勝たせる公平・公正な場であるはずだ。その裁判の場面で一緒に戦う弁護士を選ぶ時点で既に、社会的強者が有利な立場にあるとすれば、公平・公正な場であるはずの裁判の前提が崩れはしまいか。

 

 

 また、資本主義社会における自由競争は、言い換えれば、儲けたモン勝ちである。いくら誠実に業務をこなし、依頼者にとって素晴らしい弁護士でも儲けられない場合は退場しろということである。依頼者のために良い弁護をしようとすれば、時間がかかる。しかし、時間を掛けていれば仕事を沢山こなせないから儲からない。いきおい、良い弁護よりも儲かる弁護が横行する傾向が進むことは間違いないだろう。

 

 既に、最近の司法修習生にはビジネスロイヤー志向が強くなってきているという指摘が、司法研修所教官からなされている現状は、弁護士の大量増員と無関係ではないようにも思われる。
 

 

 (続く)