国選付添人制度拡充に思う

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 国選付添人制度が大幅に拡大されることになった。


 少年の人権に取っては喜ばしいことではある。


 しかし、私は弁護士界のことを考えれば、この拡充には、暗い気持ちにならざるを得ない。自由競争の旗印の下で弁護士人口を激増させて、仕事の質を追及するよりも儲けないとやっていけない状況を作り出しておきながら、その一方で、弁護士の善意に頼る赤字の事件を増やそうというのだから、一体何を考えているのかとすら思う。

 
 少年事件は、少年の内省を深めるべく、付添人に就任した弁護士と少年が何度も時間をかけて話し合い、少年に反省を促していく必要がある。通常の刑事事件で選任される国選弁護(否認事件などは除く)と比較して、少年事件では本当に必要な付添人活動をしようとすれば、圧倒的に時間がかかるのだ。
 もちろん、かけた時間に見合った報酬を国が出してくれるのであれば、そうでなくても、せめて赤字にならないだけの報酬を国が出してくれるのであれば、弁護士だって頑張れるかもしれない。だが厳しい国家財政の中、国が正当な報酬を出してくれるとは思えない。国選弁護だって、随分前から労力に見合った報酬にして欲しいと言い続けているはずだが未だに、そうなっていない。


 弁護士の生活を国家が保証してくれるのならともかく、生活は自力でなんとかしろ、しかし、人権保障の観点から赤字の事件はどんどんやれ、というのは筋が通らないように思う。


 おそらく国選付添人制度は、きちんと付添人活動をしようとすれば、現在の国選弁護制度以上に、弁護士にボランティア的活動を求める制度になるだろう。


 一方で、弁護士ならボランティアくらいすべきだとの御意見もあるだろうし、それをなんとなく当然と考える方もいるかもしれない。
 しかし、
 大学教授ならボランティアくらいすべきである、
 新聞記者ならボランティアくらいすべきである、
 マスコミ勤務者であればボランティアくらいすべきである、
 うどん屋であればボランティアくらいすべきである、
 駄菓子屋ならボランティアくらいすべきである、
 、、、、、という主張と比較すれば、弁護士なら~という意見は、正しいかどうか疑問が生じるはずだ。


 しかも、ボランティア活動は、通常は仕事以外の余暇の時間を当てて自発的に行うものだ。仕事の時間をボランティア的活動に費やしていては到底生活はできなくなる。善意の活動も生活が成り立った上で初めて可能になるものだ。


 おそらく、日弁連も国選付添人制度の拡充を政府に求めていたのだろうが、そこには、「財源の確保を前提に」という視点が完全に抜け落ちている。弁護士という職業で生計を立てる人間は、人権のためなら食事に事欠いてもやっていけるはずだ、というスーパーマン的弁護士が想定されているとしか思えない。


 弁護士であれば食いっぱぐれはまずあり得なかった牧歌的時代ならば、まだそれで良かったのかもしれない。しかし、きちんと仕事に見合った報酬が得られるかという財源確保の問題を等閑視して、人権のために必要だからと猪突猛進する弁護士会の姿勢は、いずれ自らの首を絞めることになるようにも思う。