法務省のHPに、第34回司法試験管理委員会ヒアリングの概要が、掲載されていたので読んでみました。
 

 内容としては新司法試験の合格者と、旧司法試験の合格者をどのように割り振るかという話がメインのようでした。

 

 その中で指摘されていたのが、最初の法科大学院卒業後の新司法試験合格者である新60期の修習生について、「ビジネスロイヤー(簡単に言えば金儲け)志向が強い」「実体法(民法・刑法の基本)の理解が不足している」という従前から指摘されている問題点でした。

 

  この指摘だけでも法科大学院制度の失敗は明らかでしょう。社会の多様かつ優秀な人材を含めて、優秀な法律家を多数輩出することを目的とした法科大学院制度の導入により、従前の制度より金儲け志向の強い、質の低下した法曹が多数生まれようとしているのですから。

 

 つまり法科大学院制度を推進した大学法学部の教授の多数は、自分たちなら優秀な法曹を養成できるはずだ、と実際には教育する実力もないのに過信していただけということになります。

 

 更に致命的なのは、法科大学院志願者が減少していることです。多数の志願者が競争すればするだけ、優秀な合格者が生じる可能性が高くなります。全国大会1位~10位の選手のチームと、町村単位で1位~10位の選手のチームを比較した際に、どちらが優秀かは考えるまでもないでしょう。法科大学院経由での最初の合格者で最も優秀とされる新60期の、司法修習生ですら基本的知識に欠けるものが多いと指摘されているばかりか、現在では法科大学院志願者は減少しているのです。法科大学院は優秀な法律家の卵すら集められない状況になりつつあります。

 

 この点、法科大学院側の認識は新司法試験の合格率が高くないため、志願者が減少しているのだから、合格者を増加させれば良いというもののようであり、全く現実を見ていない脳天気な認識といわざるを得ません。

 

 社会人が職をなげうって家庭を犠牲にしてまでも法律家を目指す場合には、法律家になれば一定の安定した収入が見込めなければ、なかなか踏み切れないでしょう。安定した職を失ってまで、家族を将来的に経済危機に陥らせる危険がある職業に転職したいと誰が思うでしょうか。優秀な法律家を広く求めたいのであれば、法律家(特に合格者の大多数がなるであろう弁護士)が魅力のある仕事でなければなりません。

 

 はたして、合格者を激増させ、就職困難を招いている弁護士の現状が魅力のある状況とは到底言えないでしょう。さらに合格者を増加させて生活困難な法律家を産み出してしまえば、もはや優秀な人材が法律家を目指すことをやめてしまうでしょう。合格者数は真に法律家の需要を見定めて決定すれば足りるはずでしょう。

 

 法科大学院は直ちに、制度的失敗と自らの能力不足を認めて、廃止すべきです。

 知人の某有名大学の法科大学院講師(弁護士)に事情を聞いても、学生のレベルはがた落ちで、ごく一部の優秀な学生を除いて到底法律家にすべきではないレベルだとのことでした。早急に改めないと取り返しのつかない事態になるかも知れません。

(再掲後記)

※この記事を書いたのは約11年前でした。

 結局、法科大学院は未だにその教育について改善をすると言い続けながら低迷し、優秀な学生を集められずに、ついには法曹志願者を激減させるまでに至ってしまいました。

 以前から指摘されていた問題を、10年以上かけても解決できないのであれば、制度自体に問題があると考えるべきでしょう。 また、これまで法科大学院制度維持の中心になってきた学者たちには、もはやこの問題の解決能力はないということは明白だということです。

 政府は、文科省法科大学院等特別委員会を直ちに廃止するか、国民のための法曹養成よりも大学経営のために法科大学院維持を唱え続ける、全ての委員の首を切り、真に国民のための法曹養成を考えることができる委員に変更するべきでしょう。

 いつまで失敗が明らかになった制度に、国民の血税を投入させるつもりなんでしょうか。文科省や学者の唱える法科大学院延命策は、例えれば、胃癌の患者に対し、患者が胃が痛いというから、胃腸薬を与えている、そのような対応しかしていないように見えます。腹痛の真の原因(胃癌)を見抜き、その原因を治療しなければ、法曹志願者の減少は止められません。

 法曹志願者の減少を止める方法は簡単です。放っておいても志願者が激増している医学部・医師について分析し、それと同じ方法をとればいいのです(もう手遅れかもしれませんが)。

 何とかの一つ覚えのように、法曹志願者減少の原因を司法試験の合格率のせいにばかりしている学者は、もういい加減、自主退場されたらどうですか。医学部志願者は医学部の難化(合格率の低下)とともに激減しましたか?経済的裏付けもない状態であるにも関わらずやりがいだけで、優秀な人材をヘッドハンティングできますか?

 現実を見ることができないことが明らかなのですから、あなたたちの対応が的を射るはずがありません。現にあなたたちの10年以上も行ってきた対策では、何の効果も出ないどころか、事態を悪化させる一方なのですから。

 

緑の占領?


 叔父が急逝し、仮通夜のために、とりいそぎ田舎に戻った。普段は自動車で帰省するのだが、急だったこともあり、久しぶりに列車での帰省にならざるを得なかった。

 寂しさを紛らわすかのように、あれこれと忙しく動き回っている叔母の姿や、型どおりにお経を上げる坊さんを、何故だか少し現実離れしたような感覚で私は受け止め、焼香をして叔父に別れを告げた。仕事の都合で、仮通夜しか出席できなかったのだ。


 翌日、郷里の無人駅から、事務所に向かうために、私は特急列車を待っていた。

 国鉄時代、常に3人以上の駅員がいたこの駅も、ずいぶん前から無人駅になっている。この路線は、確か私が小学生の頃に電化されたのだが、電車だけでなく、汽車も多く走っていた。

 かつて私は、高校への通学のために、この駅から汽車(電車ではない。)に乗り、この駅から駿台模試を受験するためだけの目的で、夜行列車に乗り込んだこともあった。高校の生徒会長を補佐して文化祭の準備をするために、朝5時頃の列車に乗り込んで高校へと向かったこともあった。もう覚えておられないとは思うが、当時私がお手伝いした生徒会長は、鎌倉円覚寺管長の横田南嶺老師となられている。

 冷暖房の効く急行型車両(キハ)の通学もそれで楽しかったが、電気機関車(EF58)が牽引する古めかしい客車での通学は、今思えば相当風情があった。ドアは手動で、いつでも開けられたし、開いているままのことも多かった。最後尾の客車のデッキからは、遠ざかる線路が何の障害もなく見え、いつでも飛び降りることが可能だった。トイレは、水は流れるがそのまま線路に排泄物を落とす仕組みで、鉄橋などを通過する際には、下からの光が見えるときもあった。
 もちろん、冷房などはなく、夏になると窓を全開にし、天井の扇風機を回すくらいしか、涼をとる手段はなかった。扇風機も確か、カバーにはJNR(日本国鉄)の頭文字が残ったままだった。
 その扇風機が、それぞれ個別の方向に向かって、そして、少し腹立たしいほどゆっくりと、首を振っている様子を、窓から吹き込む夏の暑さとともに、高校時代の私は眺めていたのだと思う。

 当時よりも、さらに過疎化が進んでいることから、民営化したJRは当然のように列車の本数を減らしたようで、駅の隅に張り出された時刻表には、空白の時間帯が目立っていた。いずれ複線化されるのではないかと噂もあったが、複線化は白浜まででストップし、そこから先の複線化は放置されたままであり、今後もそれは変わらないだろう。

 私は駅の階段をゆっくりと上り、ホームの端まで歩いてみた。
 もっと広くて大きかったような気がした階段だが、実はそうでもないように感じた。自分が高校時代から物理的に、格段に大きくなったわけではないのに、この感覚のギャップは妙におかしかった。


 ホームの端まで歩きながら、今までなかったものが、線路にあることに、私は気付いた。


 雑草が線路の中に生えているのである。

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(大阪方面)

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(新宮方面)


 線路内に雑草が生えている状況は、これまで、廃線区間でしか見たことがなかったので、少し驚いた。

 少なくとも私が高校生の頃はこのようなことはなかった。
 もちろん、走行列車の本数が激減したことも影響しているのだろうが、JRは線路内の雑草を放置するようになったのだろうか。


 かつて、二酸化炭素だらけで生物がいなかった地上に、最初に上陸したのは植物だと何かの本で読んだことがある。
 最初は、植物が地上を支配していたのだ。


 線路に生えた雑草の姿は、植物がかつて地上を支配したときのように、人間が過疎化した土地を植物が静かにゆっくりと取り戻そうとしているかのようにも思えた。


 そう遠くない未来に、ひょっとして郷里の駅や線路は、人々にかつての想い出だけを残して、緑に占領されてしまうのかもしれない、そんな幻想を抱きながら、私は少しだけ遅れて到着した列車に乗り込んだのだった。

谷間世代に日弁連会費を減額!?

 はじめに:ちょっとまとまりのない、雑感になることをお許し下さい。

 司法修習を受けている間に、国庫から給付を受けられなかったいわゆる谷間世代の問題については、私は当初から、国の政策の誤りだったのだから、責任は国にある。したがって、対応を求めるのは国に対してであるべきであって、弁護士会が対応を行うことは理屈に合わず、間違いだと述べてきた。

 間違いであるばかりか、給費制復活を目指して活動中の方々に対しても、「立法政策の問題ということもさることながら、弁護士会や日弁連が対応しているようですから、もういいでしょう」と反論する論拠を相手に与えかねず、悪影響を及ぼしているはずだ。

 百歩譲って、悪影響がないとしても、会員間における差別的な扱いには間違いなくなるだろう。同じ施設を利用し、同じサービスを受けるにもかかわらず、支払う対価を一部免除される者とそうでない者に分かれるのである。
 仮に、会費が余っていたとしても、それは会費の徴収のしすぎということになるから本来は支払った人に返すべきお金のはずだ。

 また、谷間世代から、修習時代の借金のせいでどうにもならないのでなんとか助けてくれという筋違いの陳情が日弁連執行部に多数届いたという話も聞かない。救済すべきであるという事実があるかどうかもはっきりしていないのである。


 それにも関わらず、日弁連は、谷間世代への日弁連会費の減額を行う意向を有しているようだ、との報告を先日の常議員会で聞いた。


 谷間世代に対して、日弁連会費を毎月3500円、10年にわたって減額するという案が日弁連理事会で討議されているようだ。総額で40億円を超える規模になるとの試算だそうだ。
 つまり、仮にこの試算通りに減額すると、40億円もの日弁連会費の実質的流出が生じるのである。


 日弁連執行部主流派は、良いだろう。自分達が主導して谷間世代救済を行ったと胸を張れるからだ。また谷間世代は会長選挙の際には相当大きな票田になりうることも、おそらくその背景にはあるのだろう。

 しかし、その実態は、他人の金(谷間世代以外の会員の会費)を使い、さも自分が救済したかのような顔をすることになるだけの話だ。

 たとえ筋違いの谷間世代救済策であっても、真に困窮している者が多数いて看過できない状態にあり、救済してあげたいと考えるなら、救済したい連中だけで基金を作ってその範囲内でお金を給付すればいいだろう。
 資金拠出者も明らかになるし、他の会員を犠牲にすることもない。自分の名前が出るのが嫌だというのなら、匿名で基金に寄付すればよいだけの話だ。
 その上で、「助けてやった」と胸を張りたい人は、胸を張ればいいじゃないか。

 本当に谷間世代が惨憺たる状況で、その状況を憂いて救済したいと強く願っている人がいたなら、既にそういう行動をとっていてもおかしくないのではないか。

 現日弁連会長の菊地裕太郎弁護士が、選挙前に代表となって設立していた、「広げよう!司法の輪 日弁連の会」とかいう団体などは、お金をかけて豪華なパンフレットを全弁護士に配ってまで日弁連や弁護士のために、なにかやりたいと主張していたようだから、格好の受け皿になって活動していそうなもんだがなぁ。
 一体どこへ消えたんだ。


 かつて、私の祖母は、入院中に言っていた。
 「年金を頂けて、入院しても無料にして頂いて、本当に有難い。」
 確かにこれまで国を支えてきた老人を大事にすることは悪いことではない。しかし実際に、費用を負担するのは国民全体だ。目先の議席のことをばかり考え、一票を持つ老人には利益を与えて優遇し、他方で一票を持たない子供をないがしろにしてきたつけがいま、顕在化しつつあるのではないのか。
 国民全体が、平等かつ持続的にその恩恵を享受できるように制度設計するのが政治家の仕事のはずだ。
 その理は、日弁連の会務執行において執行部が果たすべき役割と、変わりがない面もあるはずだ。
 

 日弁連執行部は、他人にツケを回すな。他人の金を使って、筋違いの救済をしようだなんて、ええカッコしようとすんな。

京阪特急座り方試案

 私は、司法修習時代から京阪電車を通勤に利用している。

 京都に住んで大阪の事務所に通うためには、出町柳~淀屋橋間を結ぶ京阪電車が便利なのだ。

 もちろん、高槻市・茨木市等に住んで、30分以内の通勤時間で済ませる方法も考えられた。この点、京阪電車は出町柳~淀屋橋間約1時間弱なので、時間的には不利だ。

 しかし、出町柳駅も淀屋橋駅もともに始発駅なので、ほぼ座って通勤できるというメリットには代えられない。座ることができれば、通勤時間を読書や睡眠時間に充てられる。たとえ混雑していても、次の特急を待てば、確実に座れる。

 しかも、京阪特急のエレガントサルーン(2階建て客車とプレミアムカーを連結する編成)は、通常座席もそこそこ座り心地がよいので、私は勝手に、「京阪神の通勤電車最強」は、京阪電車ではないかと秘かに思っていたりする。


 20年以上、京阪電車で通勤をしてきたが、やはりエレガントサルーンの通常座席(中央通路をはさんで、進行方向に向かって2名ずつの座席が並ぶ、いわゆるロマンスシート配置)には、より心地よく過ごすための座り方があると思う。

 2人並んで座るため、座り方によって、隣の客と腕がぶつかり続けるなど、気を使う状態が続く場合がある。

 ときおり、腕を強引に押しつけて自分のスペースの占有を態度で主張してくる客もいて、それはそれで気分がよろしくない。

 だが、座り方によっては、それを避けることもできるのだ。

 座り方のキーポイントは、通路側の客の座り方だ。キーポイントと言ったが、方法は極めて単純で簡単だ。


 通路側の客が、できる限りお尻を通路側ギリギリまで寄せて座る、これだけでお互い気持ちよく過ごせることが多いのだ。


 私は175㎝、72キロだが、私よりも体格のよい男性と並んで座っても、通路側の人がお尻を通路側ギリギリまで寄せれば、ほぼ腕は当たらない。それどころか若干スペースが空くことがほとんどだ。

 それでは通路側の客が窮屈なのではないかと思う方もおられるかもしれないが、実際やってみれば分かるが、通路側の客は通路側ギリギリまでお尻を寄せて座っても、お尻より幅の広い肩は、通路側の肘掛けの上あたりまでで収まるから、実は、通路に大きくはみ出ることはないのである。
 逆に、窓側の客は窓側の腕が窓側の壁に当たってしまうため、お尻を窓側ギリギリまで寄せて座ることは、身体の構造上、困難だ。私は始発から終点まで乗るため、途中下車する客の邪魔になりにくいように窓側に座ることが多いので、経験上、これは間違いないことといってよいだろう。

 とっても単純なことで、実践してくれている人も結構いるようだが、ときおり、腕をぐいぐい押しつけて自分のスペースを確保しようとする人が隣に座ってきたりすると、もう少し、お互い気持ちよく過ごせる方法があるのになぁ~と、残念に思ったりもするのだ。

津波がきたらどうすんだ

 本日の大阪弁護士会の常議員会で、先日の大阪北部地震の対応について検討があった。

 その中で、もっと大きな地震が発生して、津波がきた場合、大阪弁護士会館の電源設備は地下にあるため、津波による浸水によってシステムがダメージを受け、仮に電力が復旧しても機能を果たせないとの説明が、執行部からあった。

 会員の安否確認等、震災発生時に弁護士会員の中心となるべき大阪弁護士会の会館機能が麻痺したら、さすがにまずいだろ。

 確かに大阪弁護士会館は外見は洒落た建物ではあるが、おそらく、南海トラフ地震による津波を全く想定せずに、デザイン優先で電源設備を漫然と地下に設置し、その設計にゴーサインを出したツケが、東北の大震災の津波被害で顕在化してきたというところだろう。

 将来の大阪弁護士会の会員のことを考えるなら、今後ほぼ確実に生ずる南海トラフ地震に備えて、大阪弁護士会の電源設備を浸水の心配がない上部に移設することを考えるべきなのだろう。しかし、執行部の説明によると、歴代執行部でも、何度もその心配は話題にはなるものの、設備移転の費用等を考えると先送りになってきたのが現実だ、ということだった。

 だったら、弁護士会の余剰資金を使ってさっさと改修工事を考えるか、改修工事のためにさらに資金を留保しておく必要があるんじゃないのか。

 ビクビクしながらも取り敢えず先送りしておいて、「将来津波がきたときの会員さん、ばば引いちゃいましたね~、残念でした。設計は悪いの知ってたんだけど、あんたたちで復旧しておいてね。」、でいいわけないだろ。

 国の政策迷走によって生じたのだから、本来国が責任をとるべきで、弁護士会が負担するいわれは全くないはずの、貸与制谷間世代の救済のため会費減額をしまーすなどと、ええカッコしている場合なのだろうか。

 今の余剰資金でも実現が困難な状況にある「本当にやるべきこと」を放置して、男女共同参画のために働いて稼いでいる弁護士にも育児を理由に会費減額します、谷間世代についても可哀相だから会費減額をします、どちらも余剰資金があるので大丈夫でーす、などと津波のリスクから目をそらして、会費減額の大盤振る舞いをしている場合ではないんじゃないの。その影では、一般会員は減額のない会費を支払い続けているというのに。

 会費未払は懲戒事由で、未払を続ければいずれ弁護士バッジを飛ばされる。

 だから苦しくても真面目に会費を払っている人は、間違いなくいるはずだ。

 その人たちがこの先困らないように、将来を見据えて会費を使うのが正しい使い方じゃないかと、私は、思うんだけどな~。

近所の喫茶店

 近所の喫茶店に設置されている雨よけテントの裏側に、毎年ツバメが巣を作る。

 喫茶店の方も心得たもので、巣を撤去したりはしないし、ヒナが孵って巣から糞などが落ちる場合は、客にかからないように段ボールでカバーしたり、注意書きを出したりするなど、ツバメを大事にしている。

 昨年までは、春から夏にかけて、子育て上手のつがいが、何羽もの雛を孵し、雛がエサを求めて大騒ぎするにぎやかな光景が見られていた。私は、小さい頃にチャボを実家で飼っていたこともあり、鳥の雛をみると、ついほほが緩んでしまうところがある。有り体にいえば、ツバメを含め、鳥の雛を見ることが好きなのだ。

 ただし、今年は、豪雨で巣が一度落ちたこともあってか、近所の商店街では次々とヒナが元気な姿を見せる中、このつがいの巣では、雛が孵った様子が見られなかった。あれだけ子育て上手のつがいだったのだから、おかしい。今年は代替わりして、経験の浅いつがいが巣をかけたのかもしれない等とあれこれ想像したりもしていた。

 ここしばらくは、つがいが、巣から少し離れたテントの骨組みに2羽で寄り添って止まり、寝ている姿が続いていた。

 何となく気になって、喫茶店の前を通る度に下から覗いていたのだが、いつの間にか、寝ている姿を見せるツバメも1羽だけになり、パートナーに事故でもあったのかと少し心配になっていた。

 先週、夜の10時半頃、ジョギングを終えて自宅に戻る際に下から覗いてみると、やはり一羽だけがテントに止まり寝ていた。

 可哀相に、渡りの季節が来るまで、お前はひとりなのかい・・・・と同情していたわたしに、微かな鳴き声が聞こえた。

 微かではあるが、間違いなく、巣の中から聞こえる。

 ヒナの鳴き声だ。

 おそらく、つがいのうち一羽が卵を温めていたのだろう。そして、他のツバメたちにだいぶ遅れたものの、やっとヒナを孵すことに成功したのだろう。

 ツバメからすれば、あんたなんか関係ないよ、ということかもしれないが、勝手に心配していたこちらからすれば、やはり、嬉しい気持ちになった。

 これからは、相当暑いから、かなり大変だろうけど、父ちゃんツバメ・母ちゃんツバメとも頑張って!

 

和歌山市

 私は和歌山県南部の出身だが、和歌山市とは実は縁が薄い。

 確かに和歌山市は県庁所在地ではあるが、私の田舎からは特急で約3時間かかるため、あと少し我慢すればもう大阪なので、用事があっても大抵は素通りして大阪まで出てしまう。

 和歌山市を訪れたことは、共通一次試験を泊まりがけで和歌山大学で受験した事(このときの大学受験とも思えないとんでもない出来事は、前の事務所時代のブログにも記載したと思う。)を除けば、小学校の修学旅行くらいの時くらいしかなかった。

 先日、和歌山地裁に用事があって、出かけたのだが、平日のお昼過ぎだというのに、裁判所近辺はかなり人通りが少なかった。裁判所の駐車場もがらがらだった。

 裁判所からそう遠くはない和歌山市ぶらくり丁も、かつてはTV和歌山などで見ていた頃は、相当な繁華街だったという記憶があるのだが、シャッターの降りている店もそこここにあり、活気が余り感じられないのが残念だった。

 高齢者・介護等の看板や、お葬式関連の看板が目についた気がして、おそらくそちら方面の需要が高まりつつあることが窺えた。

 あくまで、私の勝手な印象ではあるが、かなり高齢化も進んでいる可能性がある。

 和歌山県出身者としては残念だが、これも時代の流れなのだろうか。

 他の地方の県庁所在地は、果たしてどうなのだろうか。

エリック・ハイドシェック大阪公演

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 昨日、ザ・シンフォニーホールで、ハイドシェック(ピアニスト)の大阪公演があった。

 既に80歳を超えているハイドシェックの来日50周年記念ということらしいが、私としては、次の機会がもうないかもしれないとも思われたので、是非とも聞いておきたいと考えたのだ。

 たまたま最前列中央よりの席がとれたので、5メートル以内くらいで演奏するハイドシェックの姿をながめ、音を聞くことができた。

 オープニングの曲で少しひっかかり、やり直すというハプニングもあったが、鼻歌を歌いながら演奏するハイドシェックは、とても楽しそうだった。

 音楽を、心の底から愛している人なんだなぁ~ということが、何も飾ることなく直球で聴衆に伝わってくる。真っ直ぐな、しかし、一切押しつけがましさのない、素直さがあたりを充たしていく。

 あくまで音楽についてはど素人の私の印象だが、良い感じに枯れていて、ハイドシェックに演奏されて生まれ出る音、それ自体に鮮やかな色はついていないように聞こえるが、その奥底には、音楽や人、そして人生への愛情という彩りが実に豊かに存在している、そんな演奏に感じられた。(あくまで、ド素人の感想としてお受け取り下さい。)

 プログラム終了後も、拍手に答えて、アンコール曲(おそらく自分の好きな曲)を5曲ほど演奏しているハイドシェックは終始笑顔で、とても楽しそうだった。

 最後には、指揮者からそれ以上の演奏を止められているような様子まで見えた。放っておいたら、ハイドシェックは、大好きな音楽を地球の東の果ての国の聴衆と一緒に、何曲でも共有しようとしたのではないか、とすら思えた。

 大阪での公演は終わったのではないかと思うが、まだ他の場所での公演で若干の空きもあるようだ。

 機会に恵まれる方がいらっしゃれば、少々の忙しさを押してでも、聞く価値はある、と私は思っている。

  

6月18日の地震について

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 多くの皆様方からご心配の連絡を頂き、大変恐縮しております。

 当事務所には幸い、人的被害はありませんでした。

 物的な被害は多少あったものの、本日の片付けでほぼ復旧致しました。

 今回の地震により、地震国日本においては、いつ、どこで地震に遭うのかわからないこと、都市直下型地震に大都市は脆いことを、再認識致しました。今後にこの経験を生かしていこうと考えております。

 ご心配下さった方、誠に有り難うございました。

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秋の陽に光る道路~NZ

予備試験について、雑駁な感想


 マスコミ報道では、予備試験はよく「抜け道」と表現されているが、それはあくまでマスコミにとってお客様である法科大学院に阿った(おもねった)表現であり、法律の規定上は抜け道でもなんでもない。


 司法試験法第五条には、(司法試験予備試験)として次のように規定されている。
第五条 司法試験予備試験(以下「予備試験」という。)は、司法試験を受けようとする者が前条第一項第一号に掲げる者と同等の学識及びその応用能力並びに法律に関する実務の基礎的素養を有するかどうかを判定することを目的とし、短答式及び論文式による筆記並びに口述の方法により行う。


 このように規定上明らかに、司法試験予備試験は、例外的に受験を認められるものではなく、また、正規ルートの抜け道という位置づけでもない。

 この規定の「前条第一項第一号に掲げる者」とは、司法試験法第4条に規定された法科大学院修了者(と終了後5年以内の者)を指している。


 このような条文の構造からすれば、司法試験予備試験は、予備試験ルートで司法試験を受験しようとする者が、学識、応用能力、並びに法律に関する実務の基礎的素養において、法科大学院修了者と同等のものを有していると司法試験委員会(同法7条)によって判断されれば、合格できる試験ということになる。


 裏を返せば、司法試験委員会が予定する法科大学院修了者の学識、応用能力、並びに法律に関する実務の基礎的素養のレベルは、予備試験合格者と同一レベルでなくてはならないということになる。

 そうだとすれば、法科大学院修了者と予備試験合格者のいずれであっても、同等の能力がある受験者が受験するはずだから、司法試験合格率は、多少の誤差はあれ、ほぼ同じにならないとおかしい。


 仮に、合格率の数字に大きな差があるとすれば、その原因は、予備試験の合格者を不当に絞って優秀な上位者しか合格させていないのか、法科大学院の修了認定が甘すぎ、本当はきちんと教育できておらす、本来卒業させるべきでない実力不足の学生をどんどん卒業させているかの、いずれかしか原因は考えられない。

 平成29年度の司法試験合格率は、法科大学院修了者が19.86%予備試験合格者は71.07%だ。


 法科大学院側は、優秀な学生が予備試験に流れてしまったと主張する場合もあるようだが、それはほぼ言い訳にはならないだろう。そもそも、法科大学院は法曹実務家を養成する専門職大学院である上、厳格な修了認定をしていると主張しているから、司法試験委員会が法科大学院修了時に必要と考える学識、応用能力、並びに法律に関する実務の基礎的素養を身につけた者のみを卒業させていないとおかしい。
 そして本当に厳格な修了認定がなされていれば、いくら優秀層が予備試験に流れても、厳格な修了認定をうけた法科大学院修了者にも相当な実力が認められているはずであり、ここまで合格率に差が開くはずがないからだ。

 短答式の合格率をみるとさらに法科大学院の教育に問題があることは明確になる。
 私が見る限り近時の短答式試験は、論文式と引き続いて実施されるためか、かなり易しい問題や部分点を与える問題もあり、作業量も知識の量も旧司法試験時代に比べれば相当軽減されているように見える。
 しかも合格基準は175点満点で、受験者平均点が125.4点(得点率約71%)のところ、108点以上で合格だ。
 実務家からみれば、この問題なら最低80%以上、論文式と引き続き実施される負担を最大限考えても75%は得点して欲しいと思うところだが、合格点は約61.7%に設定されている。

 実受験者ベースで、予備試験組の短答式合格率は98.25%、不合格者は僅か7名である。
 一方、法科大学院修了者では、ここまで甘い合格基準でも合格率は63.66%、不合格者は2023名である。

 マスコミから抜け道と揶揄されるルートを通った者が、マスコミがいうところの本道を歩んだ者よりも圧倒的に優秀だという現実は、本道とされる法科大学院の教育能力、修了認定能力の欠如を如実に示しているものではないのだろうか。

 
 それなのに、なぜ、法科大学院制度を残そうとするのか、結局文科省・大学側の少子高齢化対策として、税金を投入させられた国民の皆様が食い物にされただけではないのか、利害関係にどっぷりはまったマスコミや学者の戯れ言に惑わされずに、現実を直視して、冷静に判断しなくてはならない場面にきていると私は思っている。