セミの鳴き声に

 先日、酷暑のなか、物好きにも、税理士さんに誘われたゴルフに参加した。

 暑さでぼーっとなりながら、ラウンドし、その後半のスタート前に、ティグラウンドでツクツク法師の鳴き声が聞こえた。

 ツクツク法師が鳴き出すと、もうそろそろ秋が近いなと感じる。

 小中学生の頃の記憶では、高校野球も終わり、夏休みの終わりが凄い勢いで近づいてくる頃にツクツク法師の鳴き声を聞いていた記憶が重なるのだ。

 子供の頃の夏休みときたら、はじまった頃は、このまま休みが終わらないんじゃないかと思うくらい一日が長く感じられたくせに、ツクツク法師が鳴き出す頃には、夏休みは一気に加速していき、まだ手をつけていない自由研究と読書感想文をどうしようかと考えているうちに、あっという間に終ってしまうのが、常だった。

 

 夏の暑い盛り、ぐったりしてしまいそうな頃は、クマゼミかアブラゼミ、ミンミンゼミが元気だ。特にミンミンゼミは、ミーン・ミーン・・・・・ジーと鳴くのだが、最後のジーと鳴いて泣き止んだ瞬間になぜだか、周囲の暑さが、どっとおしよせてくるように感じられた。小学校のプールから帰り、水浴びしてきたくせに何故か少しほてったように感じられる身体で昼寝をしているときと、ミンミンゼミの鳴き声が私の記憶では結びついている。

 これに比べて、ツクツク法師は、「オーシ」ではじまって「ツクツクホーシ・ツクツクホーシ・・・・・」と続いたあと、「ツクツクイーヨー・ツクツクイーヨー・・・」と変化して最後は「ジジジジ」で終わるように聞こえた。一匹の鳴き声を聞き終わったあと、その他のツクツク法師もじつは鳴いていたのだと気づくことも多かったように思う。

 夏の初めの頃と、終わり頃にヒグラシが鳴いていた記憶がある。ヒグラシだけは、私の記憶では、一夏で2度鳴き声を聞くチャンスがあったように思う。

 なかなか太陽が落ちきらない夏の終わりの夕方に、ツクツク法師とヒグラシの鳴き声が重なってきこえたりすると、夏が終わってしまうのだという思いと同時に、訳の分からない巨大な喪失感のような感覚を、少年の私は、なぜだか、とてつもなく強く感じていたような気もする。

 何が私にそのような感覚を覚えさせたのか未だに分からないが、ツクツク法師やヒグラシの鳴き声を聞くと、ときどき、子供の頃の泣きたくなるような、胸がつまるようなその感覚を、もう一度だけ感じてみたいような気になったりもするのだ。

弁護士は社会生活上の医師なのか?

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 先日、「こんな日弁連に誰がした」(平凡社新書)の著者でもある、小林正啓先生とお話しする機会があった。

 

 そこで、未だに日弁連が「弁護士は社会生活上の医師として・・・・」といいたがる話が出た。小林先生はかつてブログで、「弁護士=社会生活上の医師」という見解を、ばっさり、弁護士の医師コンプレックスであると断言されている。

http://hanamizukilaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/post-34ad.html

 

 もう少し分かりやすくいうと、こういうことだ。

 

 医師の相手は、病気だ。病気は人類にとって絶対的に悪だから、相手をやっつければやっつけるだけ、医師は評価されるし、病気と徹底的に闘う医師の使命を果たすことが、そのまま人類のためになる。

 

 しかし、弁護士が誰かに依頼されて相手にするのは、会社か私人だ(国の場合もあるが)。

 

 会社や私人は、私たちと同様に社会生活を送っている存在だ。弁護士が依頼者の希望どおりに相手をやっつければ、依頼者は満足するかもしれないが、相手方は社会生活上深刻なダメージを受ける可能性がある。弁護士が相手をやっつければやっつけるだけ、誰かが痛い目を見ることになるのだ。

 

 だから、極論すれば、弁護士が社会の隅々で活躍する社会とは、社会の隅々で誰かが痛い目にあわされる可能性がある社会と同義なのだ。

 

 医師の仕事は絶対的善であるが、弁護士の仕事は依頼者にとっての善、相対的善にすぎないのであって、小林先生も指摘されているとおり、弁護士は社会生活上の医師どころか、社会生活上の傭兵と評価することも不可能ではない。

 

 

 弁護士が増えてコストが下がれば、こちらが弁護士(傭兵)を雇いやすくなるから良いじゃないかと単純に考える人もいる。しかし、良く考えてみると、こちらが弁護士を依頼しやすくなることは、こちらを痛い目に遭わせようと考えている人が弁護士を依頼しやすくなることと、表裏一体の関係なのだ。

 こちらが全く悪くなく、完全な言いがかりだけの不当訴訟でも、相手が弁護士を立てて提訴してくれば、やむを得ずこちらも弁護士を立てて防衛するしかない。相手が悪いとしても、こちらが依頼する弁護士にかかるコストは、プロの用心棒を雇うことと同じだから当然、自分が負担せざるを得ないのが原則となる。

 

 「弁護士=社会生活上の医師」とのスローガンの下、新人弁護士が就職難に陥っているにもかかわらず、弁護士をどんどん増加させている、現在の司法改革は、働く宛もないのに「社会生活上の傭兵」を次々と社会に招き入れているようなものだ。

 

 武器は持っているが働く場所(法的需要)もなく、生活できない傭兵は、食うために、その武器を誰かに向けざるを得ない時期がやってくるかもしれない。そのターゲットになる誰かとは、病気やショッカー(by仮面ライダー)のような絶対的悪ではなく、普通に暮らしている貴方かもしれないのだ。

 

 弁護士増員さえすれば、本当に社会の問題が解決していくのか、その考えが正しいものなのか。

 

 もう一度良く考えてみる必要があると思う。

(記事ここまで)

再掲後記

 最近でこそ若干少なくなったものの、司法制度改革が華やかなりし頃、マスコミや経済界、政治家は、こぞって弁護士も仕事を掘り起こせなどと言っていたものです。

 弁護士が仕事を掘り起こすと言うことは、人類共通の敵である病気をやっつけることではなく、社会の他の誰かを痛めつけるかもしれない行動を起こすこととそう変わりがない場合があります。

 例えば、弁護士会が上場会社の株式を一単位ずつ保有して、会社に不祥事の噂が立てば弁護士会が希望者を募って直ちにチームを結成し、取締役らを訴える代表訴訟の準備に入る、なんてことは、企業からすればとんでもないことでしょうが、実はこれも弁護士にとっては立派な仕事の掘り起こしです。しかもコンプライアンスに資する行動ともいえますから、何ら非難を受けるいわれもなさそうです。そのような社会を経済界は望んでいるのでしょうか。

 新聞社や週刊誌にプライバシー侵害や名誉毀損的な記事が掲載されないか、弁護士会が常時チェックをおこない、もしそのような記事があれば直ちに弁護士会が希望者を募ってチームを結成し、名誉毀損された人と一緒に呼びかけてマスコミを訴えるなんてことも、仕事の掘り起こしです。しかも、マスコミの健全な報道に資するといえなくもないでしょう。そのように弁護士が活躍するような社会をマスコミは真に望んでいるのでしょうか。

 自分に向かって矢が飛んでくることが想像できないからこそ、無責任に言いつのることができていたのではないでしょうか。

 弁護士は実力不足でも良いからどんどん資格を与えて競争すべきだ、という人も、医師に関しては実力不足でも良いから資格をどんどん与えて競争させろとはいいません。効果があれば副作用があってもどんどん薬として認可して、消費者の選択に任せれば、そのうち淘汰されていい薬が残るからそれで良いのだという人もいません。

 医師や薬にそのようなことをすれば弊害が生じることが容易に想像できるからです。

 しかも弁護士の仕事の良し悪しは、一般の方にはほぼ分かりません。つまり、競争させるにも選ぶ側から見て良し悪しが分からないのですから、良い弁護士が残るとは限らないのです。むしろ、商売上手、人当たりの良さ、露出の多さなど、弁護士としての実力以外の点で、競争がなされるだけでしょう。

 弁護士の仕事の良し悪しについて区別がつけられない一般の方々が殆どである中で(すなわち、競争の前提が成り立っていない状況で)、本当に弁護士も競争させるべきとして資格を濫発してよいのか、マスコミや経済界の勝手な言い分に惑わされないようにすることも必要だと思っています。

 

 

 

京大入試のこと

 先日、京都大学在学中に刑法ゼミでお世話になった中森喜彦先生(京大名誉教授)と、中森ゼミ同期生5名で、食事をする機会があった。

 懐かしいメンバーを見ると、学生時代と大して変わっていないような気がする。

 おそらく他人から見れば、ええ歳こいたオッチャンとオバチャンなのだが、若い頃を知っていると脳が勝手にバイアスをかけるのか、余り変わったようには思えないのだ。

 同様の感覚は、高校の同窓会でも感じたので、おそらく正しいのではないかと秘かに思っている。

 食事中には学生時代の話や、現在の話、さらには京大入試の話題もでた。

 Oさんは、入試の試験監督が中森先生であったことを話してくれた。私が合格した年は、数学が異常に難しく、良くできる人でも苦戦したと聞いている。確か、120分で5問出題されていたように思う。

 Oさんは、数学はまあ良くできる方で、通常なら3問は軽く完答できる実力だったそうだが、余りの難しさに、ほとんど書けず、ふと見上げた先に見えた、試験監督の中森先生が「気の毒になあ~」という顔で、Oさんの何も書かれていない答案用紙に視線を投げかけていたことが忘れられないそうだった。

 

 京大入試のことをもう少し言えば、私は一浪しているが、現役のときも、京都大学法学部を受験した。

 しかし、受験会場は京大ではなかった。

 関西文理学院、つまり予備校だった。

 その当時、京大は、法学部と理学部?が交互に関西文理学院を試験会場として使用していたそうだ。

 しかも現役受験の際には、力いっぱい不合格とされ、門前払いどころか門の前までも行けなかったのか~と、がっくりきたものだった。

 私も数学は人並みだったので、試験終了となったとき、頭が真っ白になった。現役の時は2問半から3問は解けたはずなのに、1年余分に勉強したのに全然解けないなんて。

 1年かけて実力が落ちたのか?

 恥ずかしさにたえて浪人してきた俺の、この1年はなんだったんだと思った。

 捲土重来を期した、一浪受験時だったが、数学で完全にノックアウトされたと思った私は、心の中で泣きながら、しかし、あきらめたらそこで終わりだと、残りの科目に挑んだ記憶がある。

 このように、一浪時の入試では数学の問題はほとんど解けなかったので、私の京大合格は、絶対に得意の国語(予備校の模試で2位をもらった。1位は京大文学部に合格した人で、よくできたと思っても1点差で躱され、どうしても勝てなかった。)と英語で点数を稼げたからだと未だに信じている。

 気持ちが切れなかったのは、浪人して図太くなった効果だったかもしれないし、合格日時は覚えていないが早稲田・慶應にも合格していて2浪の心配がなくなっていたからかもしれない。

 たくさん回り道をしたこともあったが、旧司法試験をもう一度受けろと言われたら、攻略方法は分かるつもりだし、受験時代の体力・集中力・記憶力があるならもっと短期で合格することは出来ると思う。

 しかし、京大にもう一度合格してみろと言われると、どうしても自信が持てないのは、やはり入試の数学でコテンパンにやられた記憶が邪魔をするからかもしれない。

 

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太平洋上空(おそらく赤道近辺)

真夜中のドア~Stay With Me

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 おそらく有線放送だったのだろう。

 少し垢抜けない、どこかの商店街で、この曲を久しぶりに耳にした。曲を聞き逃したくなくて、私は歩調をゆっくりにし、そして、さびの部分を小さな声で曲に合わせて歌ってみた。

 昔、ラジカセを使って、カセットテープにラジオから録音(エアチェックといっていた)して、何度も聴いた曲だ。確かカセットテープは、TDKのものだった。

 歌っていたのは、「松原みき」さん。

 確かこれがデビュー曲で、彼女が歌ってCMに使われていた「ニートな午後3時」を、ご記憶の方も多いだろう。

 歌が素晴らしく上手で、とても綺麗な方だった。たしか、癌のためわずか44歳でこの世を去った。もう、10年以上も前に新聞に小さく載っていたような記憶がある。

 私はこの曲を聴くと、中学生の冬の夜を思い出す。

 霜焼けにやられた手を、椅子と太ももの間に挟んで温めながら、同じく霜焼けにやられた足を足温器に突っ込んで、ラジオを聞きながら勉強していた私。

 当時、なにか自分でもやれるのではないかという根拠のない自負と、得体の知れない未来へのボンヤリとした不安を、私は漠然と抱いていたように思う。

 何も知らず、意味もなく生意気だった当時の私は、なんでも分かったふりをしたがり、平均寿命まで生きるとしたら、あと60年も生きなければならないのか、などと少しため息をついてみたりしていたはずだ。

 何もかもが変わっていく中で未だに、何かが分かったという気持ちには到底なれそうにない。おそらく私は、このまま生きる意味や真理など何も分からずに、この世を去るのだろう、とも思う。

 

 しかし、この曲と松原みきさんの記憶は、彼女を知る人の心に、残り続けるのだろう。

 私も、そのように、人の心に残るような行いをなすことができるだろうか。

 

 

子供じゃないんだから・・・

 大阪弁護士会では、研修の受講が義務づけられており、確か、年間10単位を取得しないと注意を受けるなど面倒なことになる。

 研修を受講する際には、図書室利用カードをカードリーダーに読ませて入室し、退出時にも同様にカードリーダーで読ませることにより、受講の確認をする。

 ご丁寧なことに、15分以上の遅刻や、終了時刻前の早退は、受講したことにならないと規則で明記されている。

 ちなみに私は税理士登録もしているので税理士会の研修も受講することがあるが、そちらは入室時にカードリーダーで読ませるだけで、退室時のチェックはない。まあ会場に来た以上は、受講しているだろうと、信頼されているのだ。

 要するに、税理士会と比較すれば、弁護士さんは、ちゃんと研修を受講するかについて、大阪弁護士会からは信用されていないのだ。

 ただでさえ、なんだかな~と思っていたところに、先日の常議員会で遅刻を許容する時間を15分から10分に短縮し、なおかつ、途中離席も10分までにするという規則を追加したい、という改正案が提出された。

 説明によると、ある弁護士さんが研修の際に、長時間離席していたことをたまたま事務局に現認されたが、そのセンセイは「依頼者からの至急の電話に対応しており、履修が認められるべきだ」と弁明したのだそうだ。確かに規則には長時間の離席は単位を認めないという定めがないから、明文上は、そのような不届き者を未修にする根拠がないということらしい。

 私から言わせれば、研修よりも依頼者対応を優先して長時間離席し研修の大部分を受講していないのだから、実質的に履修はしておらず、当然履修など認められるはずもないのであり、おそらくそのセンセイが、中抜けをしていたところを発見された後ろめたさから発言したガキの屁理屈としか思えない。

 私が事務局だったら、「研修は受講を前提に単位を認めるのはご存じのはず。どんな理由があっても、大部分の時間を実際に受講していないのだから単位が認められるわけないでしょ。アホなこと言わんと素直に中抜けしてたズルを認めなさいよ」、くらい言ってしまったかもしれない。

 しかし、だからといって、子供のような幼稚な屁理屈を振り回す、ごく僅かな不届き者のために、こんな恥ずかしい規定を設ける必要があるのだろうか。

 私はこのような規定の新設には反対した。だって、余りに幼稚じゃないですか。そんな規定があること自体、恥ずかしいですから。

 まあ、結果的には賛成多数で通っちゃったけど。

 不正をやろうとすれば、中抜けが規制されても可能だ。事務員さんや第三者にカードを持たせて替え玉に使い、最初から最後まで受講させることもできるからだ。大阪弁護士会の会員数は多いため、自分の知り合い以外の出席者のうち誰がホントの弁護士なのか、研修の場所では、実際にはわかりゃしないのである。もちろん、研修中に最初から最後までスマホをいじっている人もいるし、パソコンでメールをせっせと書いている人もいる。

 だから規制しても、はっきり言って意味がないと私は思う。

 最も責められるべきは、自分の中抜けを棚に上げてガキの屁理屈をこねたセンセイだが、それへの弁護士会の対応が、恥ずかしい規定の追加ということでは、実効性もないし、大げさすぎるように思うのだが・・・・。

 

 それにしても、弁護士があんな屁理屈を言うようでは・・・・、弁護士法2条もさぞかし無念だろうなぁ・・・。

 

 谷間世代救済名目での会費減額案に反対する意見のブログを掲載していることから、誤解を受けやすいのだが、私は谷間世代を責めているわけでは決してない。むしろ気の毒に思っている。

 ただ、谷間世代のうち、谷間世代は修習で給付金がなかったのだから、谷間世代の弁護士会費を減額して欲しいと主張している方に対しては、筋違いだし、公平を欠くだろう、と申しあげざるを得ないように思う。

 理由その1は、司法修習時代に給付金が出なかったのは、国家の政策の問題であって、その後始末は国家に求めるべきであり、日弁連・弁護士会に対して会費減額を求めることは筋違いだということ。

 かつて研修医が劣悪な環境に置かれていたことがあった。現在ではその方針が改善されつつあるようだが、改善が間に合わず劣悪な研修医生活を送らざるを得なかった医師が、制度不備など理由に国や勤務先に救済を求めるならともかく、医師会に対し医師会会費を減額するよう求めたとすれば、その要求は筋違いだといわれるだけだろう。正しい例えではないと思うが、それに近い状況ではないかと思う。

 理由その2は、谷間世代の弁護士会費減額を行うということは、それ以外の世代の会費減額がなされないことから、谷間世代以外の負担が相対的に大きくなるということを必然的に意味する。つまり、日弁連・弁護士会に対して全会員の会費が高すぎるので減額して欲しいという要望は筋が通るが、谷間世代だけの会費減額を求めることは、「その他の世代に重い負担を負ってもらう」という前提が当然にくっついていることになる。

 平たくいえば、谷間世代だけの会費減額を主張する人は、他の人の犠牲で自分達を救えといっていることと同義だといわれても仕方がないのではないかと考える。

 理由その3は、大阪弁護士会に限ったことだが、既に若手会員には修習終了から2年間は一般会費を半額免除(おそらく8000円×24ヶ月)している。さらに、私は反対したが、谷間世代救済のためというお題目で、最大10年間84万円もの会費免除を決議している。その上、日弁連会費まで免除するのは、3重の会費免除特典で、厳しい状況でも頑張って会費を支払っている一般会員に比べて、余りにも公平を欠くのではないかと考えるのだ。

 むしろ大阪弁護士会などは、司法修習が2年から1年半に期間短縮された際に、新人弁護士は弁護士会の定める研修を受講し終わらないと法律相談を担当させない、として、1年以上若手に法律相談を割り当てることをしなかった。もちろんそれでも、若手に対する会費減額なんてなかった。現在とは状況が違うとはいえ、この待遇の差は、弁護士会内の亀裂を生じさせかねない可能性がある。

 執行部の先生方や、常議員会に出席される弁護士の先生方は、私を除けば、功成り名を遂げられた立派な先生方ばかりで、苦労している弁護士の存在など余り実感できないのではないだろうか。私の10年以上先輩の弁護士でも、すでに事務員さんを雇えない先生とか、仕事がなくて弁護士をやめる、という先生を何人も知っている。そのうちのお一人は、仕事を取れない弁護士は無能だというのが持論だったが、その先生ですら社外取締役以外に、ほとんど新しいお仕事がこないのだと聞いた。それでも会費滞納を続けるとバッジを飛ばされるので、高い会費を支払っておられるはずだ。

 つまり、将来の弁護士会費負担者はさらに困窮する可能性がある、それどころかその可能性は極めて高いと見るべきだろう。弁護士は激増するのに、裁判所に持ち込まれる事件は増えていないのだから。

 

 このような状況にあって、安易に谷間世代の会費免除を言い出す執行部は、現実を冷静に分析して将来を見据えた判断する能力を失っているように思う。一体なにやってんだろうね~。

 

 あれ、谷間世代を責めているわけじゃないことを言いたかったのに、責めるべき相手が、何故か出てきてしまいました・・・・(笑)。

 なんでだろうね~。

大阪弁護士会のLAC負担金に関して

 先日の常議員会で、弁護士費用保険(権利保護保険)に関しての規則改正が審議された。

 現在、大阪弁護士会では、保険会社から弁護士会宛に弁護士の紹介を求めてきた案件(紹介案件)だけでなく、弁護士費用保険が使えると聞いて知り合いの弁護士さんに依頼したような案件(選任済案件)についても、着手金・報酬金・手数料・日当の7%が負担金として課せられている。

 そもそもどうして、自分が働いて得たお金に負担金を課せられてピンハネされなきゃならんのか、理由が分かりにくいのだが、紹介案件については、まあ、ぎりぎり分からないでもない。つまり、弁護士会に依頼が来て弁護士会が紹介するという手間がかかっているから、その手間賃と見れば、理解できないわけじゃない。

 しかし、弁護士選任に全く弁護士会が関わらない選任済案件にも負担金が課せられるのは、理屈に合わないような気がどうもするのだ(同様の問題は管財事件の負担金にも該当するかもしれない)。

 選任済案件で選任されている弁護士さんは人的関係や、その仕事を評価されて依頼されるわけだから、どうして弁護士会に7%もピンハネされなきゃならないのか、その理屈が分からない。

 確かにLAC導入に弁護士会の働きかけが大きかったなどという点があるなら分かるが、それなら、それで、公平に、日本全てのLAC案件に負担金が課せられていなくてはおかしい。

 そう思って、説明委員の先生に聞いてみた。

 坂野:「選任済LAC案件に負担金を課している単位会はどれだけあるのですか?」

 驚くなかれ説明委員の回答は次のようなものだった。

 「かつては他の単位会でも負担金を課しているところもあったとも聞いたことはありますが、日弁連事務局に聞いたところ、現在は、大阪だけのようです。」

 坂野は心の中で驚く

 えっ!なんじゃそりゃ!

 大阪だけが、7%もぼったくられとんのかい!

 日弁連でLAC担当をしている竹岡大阪弁護士会会長が、慌てて補足説明として、「私の記憶では、大阪の他、神奈川・新潟他もう一つあったように思いますが・・・」とフォローにまわったが選任済案件の負担金なのか、紹介案件の負担金なのかは、はっきり区別して説明してくれなかった。

 くわしい説明は次回にすると約束してくれたので、次回の常議員会で、LAC案件に負担金を課している(ぼったくり?)弁護士会はどこなのかが、はっきりするだろう。

 仮に竹岡会長のお話が仮に正しくとも、少なくともLAC選任済案件に負担金を課しているのは、全国52の単位会の中で、極めて少数派であることは明らかになってしまった。

 ぼったくってまんな~、大阪弁護士会さんは・・・・。ほとんどの弁護士会では、LAC弁護士報酬はそのまま弁護士の手にわたるのに、大阪弁護士会さんは、7%もピンハネできるんですな~。

 ほんで、谷間世代に10年間で84万円も会費免除しはるんでっしゃろ。

 問題はそっちよりぼったくりやめて谷間世代を含めた全会員の会費(名目会費ではなく実質負担させる会費)を下げることやおまへんか?

 そうなりゃ公平やし、みんなも納得するし、谷間世代も実質の会費が下がって一息つけるから、(他の世代の犠牲を前提とした)谷間世代だけの会費減額をしてくれとも言わなくなるんと違う?(そのように仰らない谷間世代の方の存在は否定しませんが、日弁連が谷間世代の会費減額のための意見照会要求資料に付してきた若手カンファレンスの発言抜粋には、そのような内容の発言が散見されました。)

 谷間世代救済のための会費減額~!と筋違いの救済策を実行して、執行部がええカッコばっかりしてたら、その他の会員さんから、そっぽむかれるんとちがいまっか・・・・。

 ほんま、しんぱいやわ~。

法務省のHPに、第34回司法試験管理委員会ヒアリングの概要が、掲載されていたので読んでみました。
 

 内容としては新司法試験の合格者と、旧司法試験の合格者をどのように割り振るかという話がメインのようでした。

 

 その中で指摘されていたのが、最初の法科大学院卒業後の新司法試験合格者である新60期の修習生について、「ビジネスロイヤー(簡単に言えば金儲け)志向が強い」「実体法(民法・刑法の基本)の理解が不足している」という従前から指摘されている問題点でした。

 

  この指摘だけでも法科大学院制度の失敗は明らかでしょう。社会の多様かつ優秀な人材を含めて、優秀な法律家を多数輩出することを目的とした法科大学院制度の導入により、従前の制度より金儲け志向の強い、質の低下した法曹が多数生まれようとしているのですから。

 

 つまり法科大学院制度を推進した大学法学部の教授の多数は、自分たちなら優秀な法曹を養成できるはずだ、と実際には教育する実力もないのに過信していただけということになります。

 

 更に致命的なのは、法科大学院志願者が減少していることです。多数の志願者が競争すればするだけ、優秀な合格者が生じる可能性が高くなります。全国大会1位~10位の選手のチームと、町村単位で1位~10位の選手のチームを比較した際に、どちらが優秀かは考えるまでもないでしょう。法科大学院経由での最初の合格者で最も優秀とされる新60期の、司法修習生ですら基本的知識に欠けるものが多いと指摘されているばかりか、現在では法科大学院志願者は減少しているのです。法科大学院は優秀な法律家の卵すら集められない状況になりつつあります。

 

 この点、法科大学院側の認識は新司法試験の合格率が高くないため、志願者が減少しているのだから、合格者を増加させれば良いというもののようであり、全く現実を見ていない脳天気な認識といわざるを得ません。

 

 社会人が職をなげうって家庭を犠牲にしてまでも法律家を目指す場合には、法律家になれば一定の安定した収入が見込めなければ、なかなか踏み切れないでしょう。安定した職を失ってまで、家族を将来的に経済危機に陥らせる危険がある職業に転職したいと誰が思うでしょうか。優秀な法律家を広く求めたいのであれば、法律家(特に合格者の大多数がなるであろう弁護士)が魅力のある仕事でなければなりません。

 

 はたして、合格者を激増させ、就職困難を招いている弁護士の現状が魅力のある状況とは到底言えないでしょう。さらに合格者を増加させて生活困難な法律家を産み出してしまえば、もはや優秀な人材が法律家を目指すことをやめてしまうでしょう。合格者数は真に法律家の需要を見定めて決定すれば足りるはずでしょう。

 

 法科大学院は直ちに、制度的失敗と自らの能力不足を認めて、廃止すべきです。

 知人の某有名大学の法科大学院講師(弁護士)に事情を聞いても、学生のレベルはがた落ちで、ごく一部の優秀な学生を除いて到底法律家にすべきではないレベルだとのことでした。早急に改めないと取り返しのつかない事態になるかも知れません。

(再掲後記)

※この記事を書いたのは約11年前でした。

 結局、法科大学院は未だにその教育について改善をすると言い続けながら低迷し、優秀な学生を集められずに、ついには法曹志願者を激減させるまでに至ってしまいました。

 以前から指摘されていた問題を、10年以上かけても解決できないのであれば、制度自体に問題があると考えるべきでしょう。 また、これまで法科大学院制度維持の中心になってきた学者たちには、もはやこの問題の解決能力はないということは明白だということです。

 政府は、文科省法科大学院等特別委員会を直ちに廃止するか、国民のための法曹養成よりも大学経営のために法科大学院維持を唱え続ける、全ての委員の首を切り、真に国民のための法曹養成を考えることができる委員に変更するべきでしょう。

 いつまで失敗が明らかになった制度に、国民の血税を投入させるつもりなんでしょうか。文科省や学者の唱える法科大学院延命策は、例えれば、胃癌の患者に対し、患者が胃が痛いというから、胃腸薬を与えている、そのような対応しかしていないように見えます。腹痛の真の原因(胃癌)を見抜き、その原因を治療しなければ、法曹志願者の減少は止められません。

 法曹志願者の減少を止める方法は簡単です。放っておいても志願者が激増している医学部・医師について分析し、それと同じ方法をとればいいのです(もう手遅れかもしれませんが)。

 何とかの一つ覚えのように、法曹志願者減少の原因を司法試験の合格率のせいにばかりしている学者は、もういい加減、自主退場されたらどうですか。医学部志願者は医学部の難化(合格率の低下)とともに激減しましたか?経済的裏付けもない状態であるにも関わらずやりがいだけで、優秀な人材をヘッドハンティングできますか?

 現実を見ることができないことが明らかなのですから、あなたたちの対応が的を射るはずがありません。現にあなたたちの10年以上も行ってきた対策では、何の効果も出ないどころか、事態を悪化させる一方なのですから。

 

緑の占領?


 叔父が急逝し、仮通夜のために、とりいそぎ田舎に戻った。普段は自動車で帰省するのだが、急だったこともあり、久しぶりに列車での帰省にならざるを得なかった。

 寂しさを紛らわすかのように、あれこれと忙しく動き回っている叔母の姿や、型どおりにお経を上げる坊さんを、何故だか少し現実離れしたような感覚で私は受け止め、焼香をして叔父に別れを告げた。仕事の都合で、仮通夜しか出席できなかったのだ。


 翌日、郷里の無人駅から、事務所に向かうために、私は特急列車を待っていた。

 国鉄時代、常に3人以上の駅員がいたこの駅も、ずいぶん前から無人駅になっている。この路線は、確か私が小学生の頃に電化されたのだが、電車だけでなく、汽車も多く走っていた。

 かつて私は、高校への通学のために、この駅から汽車(電車ではない。)に乗り、この駅から駿台模試を受験するためだけの目的で、夜行列車に乗り込んだこともあった。高校の生徒会長を補佐して文化祭の準備をするために、朝5時頃の列車に乗り込んで高校へと向かったこともあった。もう覚えておられないとは思うが、当時私がお手伝いした生徒会長は、鎌倉円覚寺管長の横田南嶺老師となられている。

 冷暖房の効く急行型車両(キハ)の通学もそれで楽しかったが、電気機関車(EF58)が牽引する古めかしい客車での通学は、今思えば相当風情があった。ドアは手動で、いつでも開けられたし、開いているままのことも多かった。最後尾の客車のデッキからは、遠ざかる線路が何の障害もなく見え、いつでも飛び降りることが可能だった。トイレは、水は流れるがそのまま線路に排泄物を落とす仕組みで、鉄橋などを通過する際には、下からの光が見えるときもあった。
 もちろん、冷房などはなく、夏になると窓を全開にし、天井の扇風機を回すくらいしか、涼をとる手段はなかった。扇風機も確か、カバーにはJNR(日本国鉄)の頭文字が残ったままだった。
 その扇風機が、それぞれ個別の方向に向かって、そして、少し腹立たしいほどゆっくりと、首を振っている様子を、窓から吹き込む夏の暑さとともに、高校時代の私は眺めていたのだと思う。

 当時よりも、さらに過疎化が進んでいることから、民営化したJRは当然のように列車の本数を減らしたようで、駅の隅に張り出された時刻表には、空白の時間帯が目立っていた。いずれ複線化されるのではないかと噂もあったが、複線化は白浜まででストップし、そこから先の複線化は放置されたままであり、今後もそれは変わらないだろう。

 私は駅の階段をゆっくりと上り、ホームの端まで歩いてみた。
 もっと広くて大きかったような気がした階段だが、実はそうでもないように感じた。自分が高校時代から物理的に、格段に大きくなったわけではないのに、この感覚のギャップは妙におかしかった。


 ホームの端まで歩きながら、今までなかったものが、線路にあることに、私は気付いた。


 雑草が線路の中に生えているのである。

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(大阪方面)

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(新宮方面)


 線路内に雑草が生えている状況は、これまで、廃線区間でしか見たことがなかったので、少し驚いた。

 少なくとも私が高校生の頃はこのようなことはなかった。
 もちろん、走行列車の本数が激減したことも影響しているのだろうが、JRは線路内の雑草を放置するようになったのだろうか。


 かつて、二酸化炭素だらけで生物がいなかった地上に、最初に上陸したのは植物だと何かの本で読んだことがある。
 最初は、植物が地上を支配していたのだ。


 線路に生えた雑草の姿は、植物がかつて地上を支配したときのように、人間が過疎化した土地を植物が静かにゆっくりと取り戻そうとしているかのようにも思えた。


 そう遠くない未来に、ひょっとして郷里の駅や線路は、人々にかつての想い出だけを残して、緑に占領されてしまうのかもしれない、そんな幻想を抱きながら、私は少しだけ遅れて到着した列車に乗り込んだのだった。

谷間世代に日弁連会費を減額!?

 はじめに:ちょっとまとまりのない、雑感になることをお許し下さい。

 司法修習を受けている間に、国庫から給付を受けられなかったいわゆる谷間世代の問題については、私は当初から、国の政策の誤りだったのだから、責任は国にある。したがって、対応を求めるのは国に対してであるべきであって、弁護士会が対応を行うことは理屈に合わず、間違いだと述べてきた。

 間違いであるばかりか、給費制復活を目指して活動中の方々に対しても、「立法政策の問題ということもさることながら、弁護士会や日弁連が対応しているようですから、もういいでしょう」と反論する論拠を相手に与えかねず、悪影響を及ぼしているはずだ。

 百歩譲って、悪影響がないとしても、会員間における差別的な扱いには間違いなくなるだろう。同じ施設を利用し、同じサービスを受けるにもかかわらず、支払う対価を一部免除される者とそうでない者に分かれるのである。
 仮に、会費が余っていたとしても、それは会費の徴収のしすぎということになるから本来は支払った人に返すべきお金のはずだ。

 また、谷間世代から、修習時代の借金のせいでどうにもならないのでなんとか助けてくれという筋違いの陳情が日弁連執行部に多数届いたという話も聞かない。救済すべきであるという事実があるかどうかもはっきりしていないのである。


 それにも関わらず、日弁連は、谷間世代への日弁連会費の減額を行う意向を有しているようだ、との報告を先日の常議員会で聞いた。


 谷間世代に対して、日弁連会費を毎月3500円、10年にわたって減額するという案が日弁連理事会で討議されているようだ。総額で40億円を超える規模になるとの試算だそうだ。
 つまり、仮にこの試算通りに減額すると、40億円もの日弁連会費の実質的流出が生じるのである。


 日弁連執行部主流派は、良いだろう。自分達が主導して谷間世代救済を行ったと胸を張れるからだ。また谷間世代は会長選挙の際には相当大きな票田になりうることも、おそらくその背景にはあるのだろう。

 しかし、その実態は、他人の金(谷間世代以外の会員の会費)を使い、さも自分が救済したかのような顔をすることになるだけの話だ。

 たとえ筋違いの谷間世代救済策であっても、真に困窮している者が多数いて看過できない状態にあり、救済してあげたいと考えるなら、救済したい連中だけで基金を作ってその範囲内でお金を給付すればいいだろう。
 資金拠出者も明らかになるし、他の会員を犠牲にすることもない。自分の名前が出るのが嫌だというのなら、匿名で基金に寄付すればよいだけの話だ。
 その上で、「助けてやった」と胸を張りたい人は、胸を張ればいいじゃないか。

 本当に谷間世代が惨憺たる状況で、その状況を憂いて救済したいと強く願っている人がいたなら、既にそういう行動をとっていてもおかしくないのではないか。

 現日弁連会長の菊地裕太郎弁護士が、選挙前に代表となって設立していた、「広げよう!司法の輪 日弁連の会」とかいう団体などは、お金をかけて豪華なパンフレットを全弁護士に配ってまで日弁連や弁護士のために、なにかやりたいと主張していたようだから、格好の受け皿になって活動していそうなもんだがなぁ。
 一体どこへ消えたんだ。


 かつて、私の祖母は、入院中に言っていた。
 「年金を頂けて、入院しても無料にして頂いて、本当に有難い。」
 確かにこれまで国を支えてきた老人を大事にすることは悪いことではない。しかし実際に、費用を負担するのは国民全体だ。目先の議席のことをばかり考え、一票を持つ老人には利益を与えて優遇し、他方で一票を持たない子供をないがしろにしてきたつけがいま、顕在化しつつあるのではないのか。
 国民全体が、平等かつ持続的にその恩恵を享受できるように制度設計するのが政治家の仕事のはずだ。
 その理は、日弁連の会務執行において執行部が果たすべき役割と、変わりがない面もあるはずだ。
 

 日弁連執行部は、他人にツケを回すな。他人の金を使って、筋違いの救済をしようだなんて、ええカッコしようとすんな。