谷川会長の辞任報道


 谷川九段が、18日、日本将棋連盟会長を辞任することを発表した。

  人格、識見、実績とも会長として非の打ち所のないと、私には思われる谷川九段であるが、今回の三浦九段の事件での引責が主な理由のようだ。

 将棋のプロ棋士の座は、小さい頃から天才の呼び声高い俊才の中から、さらに抜群の成績を上げたものしか到達できない地位である。
 したがって、おそらくは、個性の強い(我の強い?)人間が多く集まっている集団であり、その棋士の集団をまとめ上げることは、幾ら人格者の谷川九段とはいえ、実に苦労が多いことだったろうと思う。
 谷川九段の、その真面目な性格から、今回の事件について人一倍心を痛め、苦悩されてきたことは想像に難くない。また、その真面目な性格ゆえに、会長辞任という潔い責任の取り方を選択したのだろう。

 私は、芸術的ともいえる光速の寄せや、なぜかそれと同居する、ここ一番で悲運に泣かされる危うさ、などからずっと谷川九段のファンである。将棋連盟会長という重責から解放されて、また、かつての「光速の寄せ」でファンを魅了してくれることを願ってやまない。

谷川先生、お疲れ様でした。

 2006年の年末から2007年の正月にかけて、アイスランドを旅行する機会がありました。

 

 アイスランドには、グトルフォスの滝、ゲイシール(間欠泉)、シングベトリル国立公園を巡るゴールデンサークルツアーがありました。まあ、3大観光名所ツアーのようなものですね。

 

 その中で、シングベトリル国立公園は、マントル対流が地上にわき出し、左右に水平に分かれていく部分が地上で見られる非常に珍しい場所です。凹の形をした、地溝帯があり、片側はユーラシアプレート、もう一方は北アメリカプレートになっています。アイスランドはこのプレートの動きで、年間数㎝くらいずつ大きくなっているそうです。

 

 地殻の生まれる場所に近いとも言えるこの国立公園は、地球の歴史を形作ってきたようにも思えます。単に景色だけ見れば、地溝帯に過ぎないのですが、地球が生まれだしてくるような場所と考えれば、とても感慨深いものがありました。

 アイスランドは、海沿いこそ、メキシコ湾流の影響で暖かですが、内陸にはいるとグンと気温が下がります。真冬の寒さに凍えながらも、地球の歴史に思いを馳せ、その地球の歴史の、ほんのごくわずかな時間、地上に存在できた私達のことを考えることができたのは、貴重な体験でした。

 

 人類が生まれる前からこの場所は存在し、おそらく人類が滅びた後も、この場所から地球の表面を覆っているプレートは生まれ続けるのでしょう。

 

 壁のようにそそり立っている地溝帯の壁(岩の壁)に、そっと触れてみました。ひんやりとした冷たい岩の感触だけが感じられました。しかし、単に冷たい岩の感触だけではなく、地球という星が生きていて、動いているということを感じさせる何かが潜んでいるような気がしたのは、ちょっと感傷的になりすぎていたからかもしれませんね。

後記:近年アイスランドがテレビでも取り上げられ、メジャーになってきたようです。私が旅した10年前とは隔世の感がありますね。

ご満悦

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:

今年も、画家の諏訪敦先生から年賀状を頂くことが出来た。

私は諏訪敦先生の大ファンなのだが、近年いろいろお忙しくされている中で、諏訪先生から一筆添えた年賀状を頂戴し、先生のファンを大切にする姿勢に恐縮しながらも、かなりご満悦なのだ。

諏訪先生から頂く年賀状は、作品として十分鑑賞に堪えるクオリティなので作品を頂いたかのように嬉しい。

現在は、事務所の待合に、先生の個人情報はマスキングした上で、昨年の年賀状と今年の年賀状を飾っている。

今年も、諏訪先生のご活躍を祈念するばかりだ。

司法試験~予備試験制限の動きに反対する。


 
 昨年12月8日のブログで、予備試験を制限する動きが出るかもしれないと予測したが、早速そのような動きが年末の忙しい時期にひっそりと開始されたようだ。

(引用開始)
司法予備試験、見直し議論 「近道」対策で、法務省など
https://this.kiji.is/187106651979843062

 法務、文部科学両省や最高裁などが近く協議会を開き、法科大学院を修了しなくても司法試験の受験資格を得られる予備試験制度の見直しを議論することが29日、関係者への取材で分かった。経済的理由などで法科大学院に進学できない人を救済するための制度が、法曹への「近道」に使われる傾向が強まったため。議論が受験資格の制限といった具体策にまで至るかは不透明だ。
 多面的な能力を持つ法曹を養成しようと、法科大学院修了者を対象にした現行の司法試験は06年にスタート、予備試験は11年に始まった。
(共同通信47NEWS 2016.12.30)

(引用ここまで)


以下、坂野の意見

 以前から述べているように、法曹としての実力が身についているのであれば、どこで学んでこようと一向に構わないと私は思っている。
 予備試験を法曹への近道に使って何が悪いのだ。
 予備試験経由の法曹が、法曹としての資質に欠けているという実証的データでもあるのだろうか。
 もし本当に予備試験経由者が法曹としての資質に欠けているというのであれば、法務省や最高裁が予備試験経由者を検察官や裁判官に任命するとは思えない。
 また、日本を代表する大手法律事務所などは、競って予備試験経由者を採用しようとしており、その傾向はずっと続いている。この事実は、予備試験経由者が法曹としての資質に欠けることなどなく、むしろ大手法律事務所は、こぞって法科大学院経由者よりも資質において優れていると評価しているからだろう。


 受験生にとっても、高い学費と最低2年間の拘束を余儀なくされる法科大学院の教育は、費用対効果として、魅力がないのだ。魅力があれば法科大学院志願者が激減するはずがないではないか。


 ちなみに、司法制度改革審議会意見書では法科大学院の理念を次のように表現していた。

•「法の支配」の直接の担い手であり、「国民の社会生活上の医師」としての役割を期待される法曹に共通して必要とされる専門的資質・能力の習得と、かけがえのない人生を生きる人々の喜びや悲しみに対して深く共感しうる豊かな人間性の涵養、向上を図る。
→専門的資質・能力は独学でも身に付けられる。豊かな人間性は教わって身につくものとは思えないし、司法試験問題を漏洩するような一部教育陣が豊かな人間性を口にするだけでもおぞましい。
•専門的な法知識を確実に習得させるとともに、それを批判的に検討し、また発展させていく創造的な思考力、あるいは事実に即して具体的な法的問題を解決していくため必要な法的分析能力や法的議論の能力等を育成する。
→知識・思考力は独学でも身に付けられるし 法的分析能力も同じである。法的議論の能力についても結局きちんとした知識と法的分析能力が基礎となるし、口頭の議論については司法修習期間でも十分身に付けられる。
•先端的な法領域について基本的な理解を得させ、また、社会に生起する様々な問題に対して広い関心を持たせ、人間や社会の在り方に関する思索や実際的な見聞、体験を基礎として、法曹としての責任感や倫理観が涵養されるよう努めるとともに、実際に社会への貢献を行うための機会を提供しうるものとする。
→司法試験受験科目以外を熱心に勉強する法科大学院生がどれだけいるか疑問だし、仮に基本的な理解ができたとしてもそれだけでは実務では使えない。結局、自分で勉強するしかないのだ。責任感や倫理観も、教わってどれだけ身につくものか疑問である。


 このようにみてみると、法科大学院の理念をみても、本当に法科大学院が必要なのか疑問だらけである。
 このようないい加減な理念を旗印に、どうして法科大学院制度設立に走ったのか、どうしてマスコミも法科大学院制度万歳となって何ら疑問を呈しなかったのか、について疑問に思えて仕方がない。


 今後の展開としては、おそらく、予備試験が法曹へのバイパスとなることは当初の理念に反しているという形式的理由で、文科省・法科大学院側は予備試験を制限しようとするのだろう。しかし、前にも述べたが、司法試験受験回数を制限する理由として、法科大学院教育の効果は5年でなくなるから、とされていたはずだ。

 わずか5年でなくなり、実務界からも評価されていない法科大学院教育の効果を、あくまで理念は正しいのだから、と言い張って、受験生に多大な費用と時間を負担させつつ、今後も行い続ける必要があるのか。
 社会人経験者など多様な法曹を送り出す目的を謳いながら、夜間の法科大学院がどれだけあるのか。
 多くの法科大学院が撤退した現在、地方の法曹志願者に対応する体制は整備されているのか。


 仮に予備試験が法曹へのバイパスになっていても、その制度のおかげで多くの人材が法曹を目指し、その制度を経由した法曹が資質として問題がないのなら、何も馬鹿高い税金を投入して法科大学院を維持する必要など無い。

 根本的なところをまず考え直す必要があるはずだ。


 そのためには、まず、予備試験経由者法曹を採用している、最高裁・法務省・大手事務所にヒアリングを行い、予備試験経由者が法曹としての資質に欠けているのかを確認することから始めるべきだ。
 それもせずに、文科省中心に予備試験制限を考えるなど、文科省と法科大学院の利益だけを優先し、国民を無視した制度検討になること必定だ。

 予備試験を制限するべきではない。

新年 あけましておめでとうございます。

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:

2017nenga.jpg

新年明けましておめでとうございます。

本日よりウィン綜合法律事務所は、新年の業務を開始しております。

新しい年が、皆様にとって素晴らしい1年になるよう祈念しております。

今年も、ウィン綜合法律事務所に、御支援・ご鞭撻賜りますようお願い申しあげ、新年のご挨拶に代えさせて頂きます。

弁護士 坂 野 真 一

今年も一年間有り難うございました。

 ウィン綜合法律事務所は、明日12月29日より、来年1月4日までお正月休みを頂きます。

 今年1年、無事に乗り切れたのも、クライアントの皆様を始め、多くの方々の御支援があってのことと、深く感謝しております。

 新たな年は、当事務所にとって更なる飛躍の年にしたいと思っておりますので、変わらぬ御支援、ご鞭撻を賜りますようお願い申しあげます。

 皆様におかれましては、良き年末、より良き新年をお迎えされますよう、心から祈念しております。

 今年1年間、誠に有り難うございました。

   弁護士 坂 野 真 一

P1020989.JPG

アイスランド ハトルグリムス教会

三浦九段の疑い晴れる~将棋


 対局中に離席し、コンピューターを使ってカンニングをしたのではないかという疑惑をかけられていた三浦九段の疑いが晴れた。
 報道によれば第三者委員会による調査では、三浦九段の不正行為は認められなかったようだ。

 昨日のインタビューで、三浦九段は、出来れば元の状態に戻して欲しいと述べていた。
 その気持ちは痛いほど分かる。
 しかし現実には無理だ。

 日本将棋連盟は、三浦九段の順位戦の地位(A級の地位)を保全すること、不戦敗ではなく不戦扱いにする等の措置を講じるようだが、挑戦者交代とならざるを得なかった竜王戦ではタイトルが取れていた可能性もあるし、挑戦者としての対局料等の問題もあって、今回の騒動で三浦九段がこれまで被った不利益を補填することは相当難しいだろう。

 よく人は過ちを犯す。そして他人に迷惑を掛けることがある。
 その場合、あんなことをしなければよかった等と後悔することになるが、時間を戻すことは誰にも出来ない。後悔しても過去に生じた事態は何ら変わらないし、変えられない。
 ただし、未来は自分の意向で変えられる。

 自らに過ちがあったのであれば、心から謝罪をして許しを請い、相手が理解してくれようがくれまいが、誠意を持って相手が被った損害以上の恩返しをしていくしかないように思う。


 上記の観点から考えると、日本将棋連盟HPに記載された谷川会長の会見要旨は、さすがによく練られていたとは思うが、「三浦九段についても、8月8日に連盟が長時間の離席を控える旨の通知書を送った後は、かなり控えておられますが、7月の対久保戦についての、トータルの離席時間は長かったと報告書に記載されております。」の部分だけは不要だったのではないかと思う。


 いずれにせよ、三浦九段が疑いが晴れて対局に復帰できることは喜ばしいことである。また私は、随分前から谷川浩司九段のファンでもある。
 これまでのいきさつを水に流して、素晴らしい将棋を見せて頂けることを期待している。

  本日(10月22日)の日本経済新聞「経済教室」の欄に、福井秀夫政策研究大学院大学教授の論考が載っている。

 

 相も変わらず、規制緩和的発想全開で、法律専門家の資格は医師と同じで「情報の非対称」対策(資格はそれを持つ者のサービス品質をある程度保証することによって、情報の非対称を防ぐ一助となる、ということだそうだ)だから、情報を開示すればいくら(能力のない)法律専門家を増員しても良いのだと、仰っている。アメリカはそれでうまく行っているんだと主張される。

 

 しかし、司法制度改革審議会第5回会議に出席された藤倉教授(ハーバード大卒・英米法専攻)によると、アメリカでの弁護士選びは次の通りだそうだ。

 

 「それではだれが何を基準にして選ぶのか、推薦するのかということになると、もうアメリカではそういう基準もない。結局、市場で店を開いていて、これだけのお金でやりますという人を、それではこれだけのお金を払ってやってもらいましょうということで選ぶしかないという考え方が基本にあって、しかしそれは危険が大き過ぎると考える人はいろいろ問合せをしたり、友達に聞いたり、あるいは知っている法律家に聞いたりというふうなことで弁護士さんを選ぶということはもちろんあるんですけれども、そういうことができるのはある程度生活に余裕のある中産階級以上ですから、低所得者で法律問題に巻き込まれて、弁護士が要るという場合にどうするか、これはもうアメリカではちょうど医療保障制度と同じように最低限の生活保護を受けているような人のためのリーガル・サービスというのは、それは公的なものが一応あるんです(坂野注:日本にはない)。各州に任意のものもありますけれども、その部分はカバーされている。

 それから、お金持ち、あるいは大企業は選び放題ですから、十分いろんな情報を持ってて一番いいのを選ぶことができるんです。中産階級が一番問題なんです。いい弁護士を選ぶ、間違いのない弁護士を選ぶ、この問題はアメリカでもまだ解決されてないと思います。」

(司法制度改革審議会第5回議事録より引用)

 

 福井教授は、留学経験をお持ちのようだが、専門は行政法だし、今までの福井教授の言動の軽さ(当職の2008.11.20ブログ参照)に鑑みると、どちらのお話が真実に近いかといえば、藤倉教授の方に軍配を上げざるを得ない。

 

 誤導だったらいい加減やめて頂きたいものだ。

 

 それはさておき、福井教授は、弁護士資格についてそれはあくまで、情報の非対称対策なのだから、情報開示さえすればよく、(仮に資格者の質が下がっても)年間5000人に資格を与えても良いのだそうだ。

 

 しかし、福井教授は、同じく医師の資格は情報の非対称対策だといいながら、医師については、資格者の質が下がってもいいから大量に資格を与えよとは、述べていない。

 

 当たり前だろう。医師の質が下がれば我々の健康に直結するからだ。質を落として医師を大量生産し、自由競争させた場合、藪医者と評判が立ってその医師が淘汰されるまで、何人の被害者が出るか分からないし、その被害は看過できない。さすがの福井教授でも、そこまでの暴言を吐くまでは出来なかったのだろう。また、質を落として医師の大量生産を続ければ、藪医者が淘汰されても、次々と新しく藪医者が社会に放出され続けるのだから、いつまでたっても淘汰など終わりはしないのだ。

 

 そこで福井教授は医師の問題を無視して、弁護士資格にのみ文句をつける。しかし、弁護士が扱う事件だって我々の社会生活に直結するものだ。一生に一度の事件を弁護士に依頼する人も多いのだ。医師が扱う仕事と重要性において、違いはない。

 

  福井教授がいうように、弁護士資格が情報の非対称対策なのであれば、なおさら質の維持は必要になるはずだ。つまり、質の高い合格者が必要になるということだ。それがどうして、逆の結論になるのか。福井教授の論はアメリカでうまく行っているのだからという(思い込み?の)他は、情報開示すればうまく行くはずだという机上の空論でしかないように思われる。

 

 なお、福井教授は、結構あちこちで波紋を呼んでいる方らしく、国会でも疑問視されたことがあるらしい。かなり長くなるが、引用する。詳しくは原典にも当たってみて欲しい。 (中略・前略・下線部・着色は、坂野が行っています。)

 

(引用開始) 

166-参-厚生労働委員会-23号 平成19年05月29日

○櫻井充君 おはようございます。民主党・新緑風会の櫻井でございます。
 (中略)はっきり申し上げまして、規制改革会議の問題は今回に限ったことではなく、この暴走をいい加減に止めないと、この国のその政治の在り方そのもの自体がおかしくなるんじゃないのかなと、私はこれはもうどこの委員会でもずうっと続けて申し上げているところでございます。(中略)我々は、国会議員は選挙というものを経て国民の代表者としてこの場に立っております。国家公務員の方々は、国家公務員法というその縛りがあって、そこの中で自分たちもちゃんと責任を負って働いているわけでございます。そこの中で、規制改革会議の方々は、そういうその選挙も経ていない、それからある種の責任をきちんとした形で負うようなシステムになっていない。もう少し言えば、何か不適切なことがあったとしても社会的な地位まで失墜するわけではないという方が、余りに今の構造の中でいうと権力を持ち過ぎているんではないんだろうか、私はそのように感じていて、今の政治の在り方そのものを変えていかないといけないんではないのかなと、そう思っておりますが、大臣そして副大臣としてはいかがお考えでございましょう。

○国務大臣(柳澤伯夫君) 
 (前略)改革を行う場合に、ボトムアップでできるかということになると、なかなかボトムアップでは改革というのはうまくいかないというのが通例でございまして、(中略)トップダウンのやり方が、時として、また場合によっては多用されるというような、そういうことにあると思います。
 そういうことで、いろいろ内閣の中にトップダウンのための装置と申しますか、そういうものができまして、そこでいろいろ識者が改革を進めるための、意見を言われるということが行われておりまして、(中略)いずれにしても、そうであったとしても、最終の我が国の意思決定というのはこの立法機関でございますし、また内閣としての提案というのは閣議に諮って提案がまとまって出てくるわけでありますので、その過程でかなりいろんな意見を闘わせて、昔のように役人が準備をしてきたものをボトムアップするということでなく出てきたとしても、最終のところでは内閣の閣議決定、それから立法府における法律の制定ということで進んでまいりますので、大きな枠組みは十分維持されておる(後略)。

○副大臣(林芳正君) 今、柳澤大臣から御答弁があったとおりだと私も思っておりまして、この規制改革会議の委員というのは、あくまでそれぞれの識見を持たれた方が答申をいただくと。しかし、その答申を受け止めてどうしていくかというのは、最終的には選挙で選ばれた我々、また議院内閣制における政府というものが政策決定を内閣の責任において行っているものでございます。
 櫻井委員から大変優しい言葉を掛けていただいたわけでございますが、与野党問わず、これはやっぱりどういう政策の決定をしていくのかということ、そして最終的にだれがどういうふうに国民に対して責任を取るのかということは大変大事な問題だと私も思っておるところでございまして、この審議の、規制改革会議のプロセスの中でどうしてもタスクフォース的なものの存在が、私もちょっと言葉に気を付けなければなりませんけれども、必要以上にクローズアップされているんではないかということを感じることが正直言ってございます。(中略)きちっと最終的には、今、柳澤大臣がおっしゃられましたように、内閣として最終的なものを責任を持って決めて、その上で国会にお諮りをして審議をいただくと、この原則はきちっと担保してまいる、このことが基本であろうというふうに考えておるところでございます。

○櫻井充君 お二人がおっしゃったとおりになっていれば全く問題ないんですよ。言っているようになっていないから問題なんです。これは、今与野党がというお話がありましたが、私は自民党の議員の方々と話をしても、良識のある方々は皆おかしいと、そういうふうにおっしゃっていますよ。(発言する者あり)ですよね。
 ですから、そういう点から考えると、もう一度僕は原理原則に返ってやっていただきたいんです。別にボトムアップ方式をずっとやれと言っているわけでもありません。トップダウン方式が悪いと言っているわけでも何でもありません。これは、規制改革会議というのは国家行政組織法の中のいわゆる八条に定められている八条委員会ですね。八条委員会の役割は一体何なのかというと、この人たちは意見を言うことができるということだけの話であって、その後に対してこの自分たちが言ったことをどうやって通していこうかとか、どうやって反映させていこうかとか、そういうところまで僕は権限としてないんだろうと思うんですよ。
 その点について、まず改めて林副大臣に確認しておきたいと思いますが、私のその認識でよろしいんでしょうか。

○副大臣(林芳正君) 先ほど申し上げましたように、規制改革会議は答申を出すというのが仕事でございますので、その意見を出した後、今度は我々が政府として受けてそれを決定するということでございますので、この規制改革会議のお仕事は答申を作るということであろうというふうに思っております。

○櫻井充君 そうすると、これは第九回の規制改革・民間開放推進会議の中で、福井委員が、労働契約法制の中身について、きちんと協議を受けて、細部にわたって答申の趣旨が具体的に反映されているかどうかを事前にチェックするという手続が極めて重要だと思いますと、まずこういう発言もされているんですね。つまり、自分たちの意見がちゃんと通っているかどうかもチェックしていこうじゃないかと。そして、その場合に、駄目だった場合には、要するに、いずれにしろ、労政審で決まって閣議決定され、国会に提出されると、それ以降の段階でこの答申とは違う法案ができたことが仮に判明したからといって、事後的に修正を求めるということは、多大な労力、時間等の取引コストが掛かりますので、やはり法案を出す前に、内閣として決める時点でちゃんと事前にコミットすることが手続的に極めて重要ではないかと思いますと、そういうふうにコメントされているんです。越権行為も甚だしい。
 私は、まず一つ申し上げておきたいのは、このような委員が本当に適切なのかどうかということであって、改めて求めておきますが、当委員会に規制改革会議の福井委員の参考人としての招致を求めておきたいと思います。
 そして、その上で、今のコメントに対して林副大臣としていかがお考えか、その点について御答弁いただきたいと思います。
(中略)

○櫻井充君 そういう話になると、基本的に言うと全部やれることになりますね、多分。
 教育委員会制度についても規制改革会議の中で実は議論されているわけです。ただし、これは規制改革会議の中でではないんですよ。調べてみると、規制改革会議の委員が決定される前に、新しい委員が決定される前にワーキングチームと称した会合が持たれているわけです。
 これはしかも、要するに、郵船かな、まあ草刈議長のところの会議室なんだろうと思いますが、そこで教育ワーキンググループという名前を付けられておりますが、自由討議をされるわけですね。自由討議されている内容を原案として、たたき台として、あとはメールの持ち回りで一応承認してもらって、規制改革会議の名前でこのことについても発表しているわけですよ。これは手続、全くのっとっておりません。渡辺大臣はこれは合法だというようなお話をされていましたが、大臣がそういうようなことで認めてしまうから、認めてしまうから、このようなことが何でもありでやられていっているんだろうと私は思っているんですよ。
 これは、教育再生会議の第一次報告について、それは問題があるんじゃないかということで、規制改革会議のある一部の人間が自由討議をしたんです。その上で、今度はその内容をたたき台にして、あとはメールの持ち回りの中で、会議もせずに、会議もせずに規制改革会議の一応意見として報告がされているわけですよ。なぜ彼らがそういう議論までしなきゃいけないんでしょう。
 そして、そこの中で、また、要するに我々の意見をどうやって反映させるのかということを言及しているわけですよ。これは草刈会長が、総理との見解相違があるとたたかれる可能性もあるので、渡辺大臣との会合を持ち、意見を合わせる必要があると、大臣に意見を言わせた上で、それをサポートする形がよいのではないかと。福井委員は、大臣との意見調整が利けば、流れを変えてくれる可能性もあると、まとめた見解を大臣経由で総理に訴えて山谷補佐官へ指示させる流れがよいのではないかと。大臣を経由して規制改革会議の名で出すのもいいが、逆効果になることも考えられると、こんなことまでいろいろ意見が交換されているわけですよ。こういう人たちを、こういう人たちを今までのようにやらせていいのかどうかということです。特にこの福井さんという方は、いろんな場面で顔を出してきて、いろんなことを自由に物を言ってめちゃめちゃにしていく方です。
 もっと申し上げると、彼は驚くべきことを言っているわけですよ。今のワーキンググループは、これ、公開されておりません。彼は「官の詭弁学」という本を書かれていて、そこの中で何と言っているかというと、要するに情報公開しないということ、官僚の情報公開が不足していることが最も問題なんだということを彼は言っているわけですが、彼の会議そのもの自体が実は情報公開なんかされていないんです。しかも、番記者を引き連れていって、さも規制改革会議で議論されたかのようにそのことを、たまたま番記者にその情報を提供して、それを有り難く書くマスコミがいるということが私は一番情けないことだと思いますけどね。しかし、こういう人に本当に何で委員をやらせるんですか。だから、ゆがめられていくんですよ。
 私からすれば、憲法四十一条に、国会は要するに国権の最高機関であると定められているわけでしょう。それが完全にゆがめられていますよ、この人たちによって。ですから、私はこの福井さんという方ははっきり申し上げて委員にふさわしくない、罷免させるべきではないのかなと、そう考えておりますが、副大臣としていかがでしょう。

(中略)

○櫻井充君 
 (前略)それから、今回の規制改革会議の中でおかしいと私は思うのは、本来であれば今回の規制改革会議はどういうものなんだというまず方向性が決まってから人選されるべきなのに、まず十二月にはもう内々に人選されているんですね。そして、そのまだ正式なメンバーでもない人たちが決まってから、じゃ今度は規制改革会議はどういうことなんだという方向性をこれ決めているんですよ。ですから、やり方そのものがめちゃくちゃなんです、すべてが。だから、おかしいというふうに申し上げているんです。
 (中略)そして、しかも、これは持ち回りでその見解を出されましたが、今度はその後の規制改革会議の中で、ほかの委員の方からどういうことか十分によく分からないのでちゃんと補足の説明をしてほしいということを求められて、規制改革会議の会合の中で補足説明をしております。やっていることがでたらめなんです。
 こういうことをやられたら、まじめにやっている官僚はばかばかしくなりますよ、本当に。それから、我々国会議員だって、我々は国民の代表者ですよ。我々だってばかばかしくなるじゃないですか、こんなこと勝手にやられて。そして、今の流れでいえば、この人たちが正義であって、特に御苦労されているのは歴代の厚生労働大臣ですが、さも抵抗勢力のように言われて袋だたきに遭うと。これは大臣として心労がたまるのはこれもう当然のことだと思いますね。
 ですから、そういう点でいったら、まずここの組織そのもの自体をちゃんと見直さなきゃいけないですよ。今、有識者というお話がありましたが、福井さんはなぜ有識者として認めるんですか。その根拠を挙げていただけますか。

(中略)

○櫻井充君 苦しいのはよく分かりますから、もう一度とにかく、僕はおかしいと思っているのは、規制改革会議の中の一部なんですよ、暴走しているのは、多分。それから、経済財政諮問会議もたった一人暴走している人がいてね、この人が民間委員という名前を称して四人の名前で全部出しているけれども、あれ四人じゃないでしょう、多分後ろで一人絵をかいているの、八代さんだけだと思いますがね。
 そういうことをやっていいのかということです。彼らは何の権限もないですからね、はっきり言っておきますけれどもね。何の代表者でも何でもなくて、それは皆さんが有識者だというふうにお決めになって、その有識者だと名のっているだけの話であって、例えばそれじゃ、これからその議論しなければいけない話になるんですけれども、年齢制限を撤廃しろというふうに今政府は進めているわけでしょう。じゃ、その当時、規制改革会議のメンバーだった、規制改革会議のメンバーだった、しかも今、労働政策審議会のメンバーの奥谷さんの会社のザ・アールという会社、じゃ、これは年齢制限撤廃していますか。

○政府参考人(高橋満君) 今、櫻井委員御指摘の個別の企業にかかわる状況については、今の時点では把握はいたしておりません。したがいまして、お答えは控えさせていただきます。

○櫻井充君 何言っているんだよ。あのね、ホームページ上にちゃんと掲載されていますよ、堂々と。じゃ、私がお話ししてどう思われるか、コメントを求めましょうか、そこまでおっしゃるのであれば。
 二十五歳から三十五歳って資格制限のところにちゃんと書かれていますよ、二十五歳から三十五歳と、堂々とホームページに掲載されていますよ。この方が労働政策審議会のメンバーですね、ホワイトカラーエグゼンプションをどんどん進めていって、やられている方ですね。この方は、規制改革会議のメンバーでしたね。過労死は自己責任と言った人ですよ。こういう人が本当に有識者ですか。

○政府参考人(高橋満君) 今の募集、採用にかかわって二十五歳から三十五歳という年齢を限って募集を行っておるということにつきまして、(中略)もし一定の合理的な理由というものが示されていないということになりますと、正に雇用対策法で定めております努力義務規定の趣旨に反するのではないかというふうには理解をいたしております。

○櫻井充君 じゃ、それはちゃんと調べていただけますか。
 つまり、労働政策審議会のメンバーなんですよ。そのメンバーとして適切なのかどうかということを私は問うているんですから、ですからこういうやり方をされている方、それから何回も、いつもこの委員会で問題になっていますけれども、過労死は自己責任だとか、そういうことをおっしゃっている方が適切なのかどうかということですよ。
 私は、様々な意見を持たれている方がその会議に出られることそのもの自体を否定しているわけではなくて、すべての人が同じ意見の人が集まればいいとは思っていませんよ。それは、今総理がつくられている自分のところの勉強会のあの集団的自衛権なんというのはまさしく自分の趣味、自分の意見と同じような人たちだけ集めてやっている、これがいいとは思いませんよ。
 しかし、一般的な社会常識から逸脱するような発言をされているような方からしてみると、本当にそれでいいのかどうか、きちんとした議論ができるのかどうかということを改めて考えていただきたいと思いますし、規制改革会議というのは福井さんに見られるだけでなくて、例えばいろんな規制を緩和しろと自分たちはほかの人たちに向かって言うけれども、自分たちのところはちゃんとやらない人たちが多いんですよ。宮内さんがその典型でしたけれどもね。プロ野球球団ができるときに一番反対したのは宮内さんですからね。おかげで仙台に楽天という球団ができて仙台としては良かったですけれども、結果的に見れば。ですが、ですが、あのときだって十球団にしてどうしてという、もっと一杯参入してきたらいいじゃないか、規制緩和して何とかだっておっしゃっている方ならそう言うのかなと思ったら全然違って、自分のところの利益を最優先されると。
 そういう人たちが民間委員として集まって制度をつくっているということが問題なんですよ。我々は、有権者の代表として、国民の代表としてちゃんと議論していますよ、これは。国家公務員だって、みんなどうやったら平等でというか、ちゃんと全体を見てやっていますよ。この人たちは自分たちの利益だけ考えているような人たち、やからが多過ぎるから、私は問題じゃないかなというふうに思っているわけですよ。
 ですから、そこら辺のところを、ここはお願いです。とにかく、林副大臣、改めてもう一度全部検討してみてください。そして、その上で、この規制改革会議の在り方、特にメンバーの構成、そして今までやってきているような内容について、余りに今の法制度上から逸脱しているところがあるんじゃないか、あったらそこをちゃんと是正していただくと、そういうことのまず御決意だけいただきたいと思います。

(引用ここまで)
 

 

 但し、一点だけ福井教授と同意見の箇所がある。

 

 法科大学院修了を司法試験の受験資格を撤廃することだ。

 そして、福井教授はこういう。

 「司法試験合格至上主義がはびこり、実務そのものを経験しない今の教育プロセスで質を保証するのは無理がある。」

 

 この部分は全く同感だ。

 

・・・・・・でも、司法試験合格者の質を問題にしないのが福井先生だったよね??

 

 

 

※記載内容については、全て執筆者の個人的な見解に基づくものであって、当事務所の統一した見解・意見ではありません。 

 週刊東洋経済2008.11.22号の「設計ミスの司法改革弁護士大増産計画」という記事の中で、規制改革会議の福井秀夫政策研究大学院大学教授が、物凄い発言をされています。

 

(以下記事の引用)

 政府の規制改革会議の福井秀夫・政策研究大学院大学教授は「ボンクラでも増やせばいい」と言う。「(弁護士の仕事の)9割9分は定型業務。サービスという点では大根、ニンジンと同じ。3000人ではなく、1万2000人に増やせばいい」。

(以上引用終わり)

 

 弁護士の仕事について福井秀夫氏がどこまでご存じか知りませんが、上記の発言を本当に福井秀夫氏がしたのであれば、福井氏は「弁護士の仕事は99%が定型業務である。」と述べておられることになるでしょう。

 

 少なくとも私が行ってきた弁護士の経験から言えば、どんな簡単な契約チェックでも、契約対象、相手方、依頼者の希望、その他様々な点で、全く同一というものは、まずありません。訴訟についても、同じ類型の訴訟であっても、言い分や事実、証拠の有無、相手方の対応で、千差万別であって、裁判所に提出する主張書面は、全てがオーダーメイドです。何一つ同じ訴訟というものはありません。

 定型的に近い処理が出来る可能性があるのは債務整理業務でしょうが、それが弁護士の仕事の99%を占めていることは、特殊な法律事務所以外考えられません。

 

 福井秀夫氏には、知らないことを、さも知ったかぶりで言うことはやめて頂きたいと思います。 

 

 それでも福井秀夫氏が、弁護士の業務は99%が定型的だと仰るのであれば、弁護士登録して頂いて、福井秀夫法律事務所を開設し、受任する仕事の99%を定型的に処理して見せてもらいたいものです。

 通常の法律事務所のように様々な事件を取り扱っていれば、99%の事件を定型的に処理することはまず不可能です(同じ離婚訴訟だからと言って、以前の離婚訴訟で使用した書面を、事情の異なる別の離婚訴訟にそのまま使えるはずがないのは、子供でも分かるでしょう)。もし、福井秀夫氏が弁護士登録して自分の法律事務所で、様々な事件のうち99%の事件を定型的に処理し続ければ、その処理方法自体が福井秀夫氏がボンクラ弁護士であることの証となるでしょう。

 

 ただ、福井秀夫氏の発言を、無理矢理にでも善解すれば、定型的という意味を非常に広く考えておられて、訴訟自体が一つの定型的な類型、法律相談を一つの定型的な類型、・・・・というふうに表現している可能性もひょっとしたらあるかもしれません。しかしそれでは福井氏の発言自体に意味がないことになります。

 

 つまり、福井秀夫氏のいう「定型的仕事」が非常に広い概念であると仮定すれば、次のようにも言えるでしょう。

 大学教授の仕事は研究と講義(学生への教育)であり、定型的な仕事である。だから大学教授はボンクラでも良い。

 医師の仕事は、診断と治療であり、定型的な仕事である。だから医師はボンクラでも良い。

 新聞記者の仕事は、取材と記事の執筆であり、定型的な仕事である。だから新聞記者はボンクラでも良い。

 

 どう考えたって、このような主張はおかしいでしょう。

 

 ただ、救いなのは東洋経済の記事を書かれている方が、冷静に福井教授の暴言に対応しておられることです。

(福井教授の発言のあとに)「だが、庶民が弁護士に依頼するのは一生に一度か二度の買い物だ。たまたまハズレ、ではたまらない。」

 

 冷静に考えれば、この記事を書かれた方の言うとおりでしょう。

 2016.12.23の読売新聞論点スペシャルでは、司法修習生の給費復活の是非についての記事だった。マスコミは自分の意向に沿って取材内容を編集することがあるので、本当に福井教授が新聞に掲載された内容を話したかどうかは不明であるが、掲載前に内容の確認くらいはするだろうから、福井教授の御主張が記載されたものという前提で、若干批判しておきたい。


 福井秀夫氏は、司法修習生給費復活に反対の立場だ。


 その理屈は、「給費を復活させれば予算の関係で給費を支給するべき司法試験合格者をどんどん増やすことは出来なくなる。それは法曹人口を増加させようとした司法制度改革に反する」というもののようだ。

 相変わらず、法曹人口増加による競争で迅速且つ確実な司法サービスの提供等が可能となるかのような主張を繰り返している。また、20年ほど前に主張された司法過疎をいまだに振り回し、それに加えて弁護士コストが高いとも主張する。


 規制緩和して競争させれば良いサービスが残るという思考で、福井氏は凝り固まってしまい、現実を見ることができなくなっているように、私には見える。
 現実に日本は、規制緩和の方向に舵を切ったが、結局、貧富の差を拡大させ多くの中間層の国民を貧困に追いやっただけではないかとも思われる。痛みに耐えて構造改革に着手したけれど、成長の果実はごく一部の者に独占され、多くの国民は痛みだけ強いられ生活はさらに困窮する方向に流れているようにすら見えるのだ。


 それはさておき、そもそも司法制度改革は、今後の法的需要が飛躍的に拡大するとの見込みから始まっていたはずだ。

「今後の社会・経済の進展に伴い、法曹に対する需要は、量的に増大するとともに、質的にも一層多様化・高度化していくことが予想される。現在の我が国の法曹を見ると、いずれの面においても、社会の法的需要に十分対応できているとは言い難い状況にあり、前記の種々の制度改革を実りある形で実現する上でも、その直接の担い手となる法曹の質・量を大幅に拡充することは不可欠である。」(司法制度改革審議会意見書H13.6.12より)


 そして司法制度改革の結果、弁護士人口は、平成13年の18243名から平成28年には37680名へと、僅か15年で2倍以上に増加した。

 その一方、法的需要はどうなったか
 民事・行政・刑事・家事・少年事件を併せて、全裁判所が1年間に受理した事件の総数は、平成15年の3,520,500件をピークに平成25年には1,524,029件となっている(裁判所データブック2014より)。
 わずか10年で裁判所に持ち込まれる事件数は約57%減少している(平たく言えば半分以下になっている)のだ。
 ちなみに、平成25年と同じくらいの受理事件総数を見てみると、昭和55年に1,469,848件だったことが分かる。乱暴に言えば、一年間で、35年ほど前と同じくらいの数の事件しか、裁判所には持ち込まれていないことになる。
 裁判所の事件受理数が全ての法的需要であるとはいえないが、法的需要を推し量る重要な物差しとなることには、異論はないと思う。


 この統計からも明らかなように、司法制度改革審議会は、法的需要に関して、数年先は予測できたものの、その後の長期的見通しを完全に誤っていたと言わざるを得ない。
 その誤った見通しに立脚して構築されたのが司法制度改革なのである。
 法的需要の予測に対応するために始めた司法制度改革であるならば、予測が誤っている以上、当然その改革も誤りとならざるを得ない。
 したがって、司法制度改革それ自体が、少なくとも法的需要に対応する法曹人口増大という面に関しては、結果的には誤りであり、現実に合わせて変更されるべきものであると言っても過言ではないだろう。


 だからこそ、政府も司法試験3,000人合格という目標を撤回したのだ。その背景には当然法的需要が伸びていないことがあるはずだ。


 前述したとおり司法制度改革審議会の意見書も、今後の法的需要の増大・複雑化が見込まれるから法曹人口が不足なのだと主張していたはずだ。あくまで、法的需要が増えるから(増えるはずだから)法曹人口の増加が必要なのであって、法的需要を無視して、法曹人口の増加が目的があったわけではない。少なくとも私の記憶では、司法制度改革審議会意見書に、弁護士を増員させ競争させることによってサービスの向上が図られるから、そのために増員するという意見はなかったように思う。

 しかし、今回の記事で福井氏は、司法制度改革の理念として法曹人口の増加に極めて重点を置いた主張をされているようであり、法曹人口の増加という手段を、目的とすり替えて述べているように読める。

 
 そればかりではない。


 司法過疎に関しては、既に弁護士ゼロワン地域は解消されているから事実誤認の主張だろう。医師会だって、医療過疎地への医師の派遣は経済的な裏付けが必要と述べているし、それと同じく弁護士だって個人事業者だから、生計が成り立たない場所では開業できない。離島に福井教授の授業を受けたいと切望する生徒がいても、そのために福井氏の勤める政策研究大学院大学が離島に大学を建設してくれないのと同じである。少なくとも日弁連は、大学と違って、会員から会費を集めて司法過疎対策に相当の支出をしてきている。
 弁護士コストの問題を見ても、人口それ自体にしても人口比にしても弁護士人口が日本より圧倒的に多いアメリカで、競争によって弁護士コストが激安になっているとの報告はないはずだ。むしろ、アメリカの法律事務所のリーガルフィーは日本の法律事務所のそれより遥かに高いということはグローバル企業の法務部の方にとっては常識であろう。


 さらに福井氏は、法曹人口が増加し一部弁護士の質が低下したとしても、それぞれの適性や「品質」を依頼者が吟味し、納得した上で依頼するなら問題は無いと主張する。
 確かに理屈の上ではそうかもしれないが、それは現実を無視した、完全な机上の空論に過ぎない。
 蕎麦屋の蕎麦の味ならともかく、弁護士の仕事の質が分かる人間がどれだけいるのだろうか。新人弁護士だって、書面の良し悪しなどすぐには分からない。
 これは私の感覚だが、準備書面で民訴規則を殆ど無視し、法的主張とは言い難く訴訟上殆ど意味がないと思われる、揚げ足取りに終始するような散文的な書面を出してくる困った弁護士も増えてきているが、相手方の依頼者がその書面はおかしいと相手方弁護士に文句をつけているようには見えない。依頼者が書面の良し悪しについて理解できないからだと思われる。
 上記の例は論外としても、逆に一見筋の悪い書面に見えても、依頼者がどうしても主張して欲しいと突っぱれば、弁護士としては主張しなくてはならない場合もある。書面だけで分かる実力不足もあるが、書面だけでは分からない事情も当然あるのだ。
 同じ弁護士であっても、実際に訴訟で戦ってみないとなかなか弁護士の実力・質は分からない場合が多いのだ。

 だから法律知識もなく一生に1度か2度しか弁護士に相談しないような一般の依頼者が、弁護士に依頼する前に、その弁護士の適性や品質を吟味することなどできるはずがないのである。
 これは、同じ世界に身を置く者として断言してもいい。
 むしろ、弁護士に依頼する前にその弁護士の適性や品質が吟味でき、依頼すべきかどうか適切な判断が出来る、と断言する者がいるならば、それは占い師か予言者くらいだろう。


 そもそも福井氏自体、2008.12.11の週間東洋経済の記事では、
『政府の規制改革会議の福井秀夫・政策研究大学院大学教授は「ボンクラでも増やせばいい」と言う。「(弁護士の仕事の)9割9分は定型業務。サービスという点では大根、ニンジンと同じ。3000人ではなく、1万2000人に増やせばいい」。』
と主張していたようだ。

 弁護士業務が9割9分定型業務と述べたというのが事実であればそれだけで、福井氏が弁護士業務に関しては、全く分かっていないド素人であり、単純に思い込みだけで主張していたことが明白だ。
 ある離婚事件で使った書面が、そのまま別の人の離婚事件で使えるわけがないではないか。事件一つ一つが異なる事情の下で発生しており、当然主張する論点やその重点の置き方は、変わってくる。債務整理事件など一部特殊な事件を除けば、弁護士の仕事は全てがオーダーメイドなのである。
 そんなことも知らない方が、弁護士業務はこんなもの等と、わけしり顔で主張して頂きたくはない。


以前も私はブログで、何度か福井教授の御主張には反論を書いている。
このブログのあと再掲する。