中学生にも分かる新自由主義1

中学生にも分かる新自由主義1
 (菊池英博著「新自由主義の自滅」(文春新書)を教科書として)

N:おじさん、最近新聞で「新自由主義」って言葉を見たんだけど、どういうこと?
O:最近って(笑)。随分前からいわれていたと思うよ。それでも、新聞を読むのは良いことだ。さて、質問に答えていくと、新自由主義という考え方を創りだしたのは、1912年生まれのミルトン・フリードマンという経済学者だといわれているよ。

N:へ~。経済学者が言い出したのが「新自由主義」かぁ。言い出したフリードマンって学者なんだ。エライ人なの?
O:フリードマンの両親はハンガリー出身のユダヤ人なんだそうだ。両親はヨーロッパのユダヤ人迫害を逃れて米国に渡り、下積みの仕事などをして生計を立てていたようだよ。フリードマン自身も苦学して奨学金を受けて大学を卒業し、シカゴ大学で修士号、コロンビア大学で博士号を取り、シカゴ大学の教授になったんだ。

N:ふ~ん頑張ったんだね、フリードマンは。えらいじゃん。
O:ところが、フリードマン経済学とその思想は、実現していくと自然と、富が1%の富裕層に集中するよう仕組まれていたんだ。しかもその思想の信奉者は政治と結びついて、それを一生懸命に現実化しようとしてきたと評価する人もいる。

N:えっ!なにそれ。フリードマンは苦労してたんじゃないの。
O:苦労した人が、今も苦労している人を配慮するとは限らないのが人間の難しいところだね。フリードマンがそうかどうかは分からないけれどね。でも、1965年の国際通貨危機の際に、フリードマンがイギリス通貨のポンドを空売りして儲けようとしたが銀行に断られ、真っ赤になって激怒したと伝えられている。

N:空売りってなんだかよく分からないけれどなに?
O:空売りとは、難しくいえば、投資対象である現物を所有せずに、対象物を将来的に売る契約を結ぶ行為だね。分かりやすくしてみようか。例えば、今はチョコレートを手元に持っていないんだけれど、コンビニで100円で売っているAチョコレートを1週間後に友達に100円で売ってあげるという約束をしたとしよう。ところが約束の3日後にAチョコレートが80円に値下がりしたとしたら、どうなる?

N:そりゃあ、80円でコンビニで買って、約束通り100円で友達に売ったら20円儲かるよね。
O:簡単にいえば、それが空売りの儲ける仕組みさ。特に君が、友達と約束するときに、かなりの確率でAチョコレートの値段が下がると知っていたらどうだろう。

N:なるほど。それならいっぱいAチョコレートを100円で売る約束をしておけばそれだけ儲かるよね。友達には悪いけど。
O:なんだ、悪い奴だなぁ(笑)。まあ、実際には、そう読み通りには行かないこともあるんだけど、投資家はこうやって儲けていたりもするんだね。話を戻すと、フリードマンは、ポンドを空売りしようと銀行に行ったんだが銀行からは断られたんだ。

N:なんでなんで?
O:当時は、通貨の売買に空売りのような儲けるためだけの投機的な取引は禁止されていたのさ。フリードマンに空売りを申し込まれた、シカゴのコンティネンタル・イリノイ銀行は「我々はジェントルマンだから、そういうことはやらない。」と断ったそうだ。

N:へ~。銀行もなかなかやるね。かっこいいじゃん。
O:ところが、フリードマンは相当頭に来たらしく、シカゴ大学に戻ってランチの席で「資本主義の世界では、儲かるときに儲けるのがジェントルマンなのだ!」と演説をぶったらしい。

N:でも、儲かるけど禁止されていたことなんだよね。それができないからって怒るのは筋が違うような気がするんだけど。
O:その通りなんだね。しかし、フリードマンは激怒した。儲け損ねたからだ。ここから分かるように、社会での決まり事や道徳的なことを尊重しようとする考えはフリードマンにはなかったとも評価できる。儲かることが正義で、儲けることだけが全てだという発想がその背景にはあるかもしれない。このようなフリードマンが創始したのが新自由主義なんだ。

N:う~ん。確かに、最近は儲かりさえすればいい、ばれなきゃいい、というようなことがあるようにも思うよ。レストランのエビの表示が嘘だったり、自動車の燃費が嘘だったり・・・。
ん?ちょっと待てよ。おじさん、新自由主義ってもう日本の中に入り込んでるんじゃないの?。

O:そうだね、新自由主義についてちょっと勉強してみるかい?
N:うん。ちょっと興味出てきた。

(不定期ですが連載予定)

認定司法書士の裁判外和解に関する代理権の範囲


 最近でこそ減ったものの、一時は地下鉄の吊り広告やスポーツ新聞の広告欄に、借金問題(債務整理)を扱うという、司法書士や弁護士の広告が数多く出されていた。

 もちろん弁護士は、全ての法律問題に関して、全く制限なく、依頼者の方を代理できる。
 一方、研修を受けて認定を受けた認定司法書士は、簡裁民事訴訟手続の代理権を司法書士法で与えられるため、140万円の範囲で依頼者を代理、即ち依頼者の代わりに代理人として行動することが可能である。

 債務整理に関しては、弁護士は全ての案件を扱えるが、認定司法書士には上記の法律の制限があるので、争いがあった。すなわち、借金問題はほぼ定型的な処理が可能な類型であり、仕事としては効率がよいので、簡単に言えば、司法書士側はとしてはできるだけ扱える範囲を大きくしたい考えがあり、弁護士側としては法律の制限を厳格に守れとの考えがあった。

 弁護士側の言い分は、誤解を恐れずに単純化していえば、法律には140万円の範囲と書いてあるのだから、借金として1債権者から請求されている額が140万円を超えている場合、借金総額が140万円を越えている場合は、司法書士には代理権がないというもの。
 認定司法書士側の言い分は、誤解を恐れずに単純化していえば、140万円というのは経済的利益だから、仮に債権者から250万円の請求を受けていても債務整理して借金を120万円に減額できれば、経済的利益は250-120=130万円であり、140万円の範囲内といえるから、代理権はある、というもの。

 今回の最高裁第1小法廷平成28年6月27日判決は、
「債務整理を依頼された認定司法書士は、当該債務整理の対象となる個別の債権の価額が法3条1項7号に規定する額を超える場合には、その債権に係る裁判外の和解について代理することができないと解するのが相当である。」
 として司法書士側の言い分を退け、
「上告人(認定司法書士)は、本件各債権に係る裁判外の和解について代理することができないにもかかわらず、違法にこれを行って報酬を受領したものであるから、不法行為による損害賠償として上記報酬相当額の支払い義務を負うというべきである」
 と判示した。

 つまり、1件あたりで請求されている債権の価額が140万円を超える借金に関する債務整理は、認定司法書士の代理権がないので、認定司法書士が代理して整理することは違法行為であり、依頼者は債務整理に関して司法書士に支払った報酬を返してもらえるということだ。

 例えば、A・B・C3社から合計300万円の借金をしていた人が認定司法書士に債務整理を依頼した場合、
①A社から100万円、B社から100万円、C社から100万円を借りていたのであれば、各社からの借金は全て140万円以内だから、認定司法書士が債務整理を代理できるので、適法な債務整理となる。この場合は、適法な債務整理がなされているから司法書士報酬を返してもらえない。
②A社から150万円、B社から100万円、C社から50万円借りていたのであれば、B社とC社の債務整理は問題がないが、A社との債務整理は140万円の価額を超えているので認定司法書士に代理権がないため違法な債務整理となり、A社の債務整理に関して認定司法書士に支払った報酬は返してもらえる、ということになる。


 違法な債務整理を行った認定司法書士に対する報酬返還の裁判は、今回の最高裁判決が出てしまったので、一定の証拠さえあれば、ほぼ負けようがない裁判になる可能性が高い。

 認定司法書士への報酬返還を、新たなビジネスチャンス・仕事の掘り起こし、と考えて、大々的に広告をうち、集客を図る法律事務所が出てくる可能性もあるかもしれないね。

 

ゴルフのこと~1

 15年ほど前、S弁護士がイソ弁として勤務していた事務所では、ボス弁は3人ともゴルフをやっていた。

 そして、S弁護士もボスからもゴルフをやることを勧められた。大の大人が止まっているボールをぶっ叩いて、穴ぼこに入れて、何が面白いんだろうと思いつつ、父親に聞けば、誰かに習った方が良いとのこと。

 ふーんそうなのか、意外に素直なS弁護士は、インターネットで探して、近くのゴルフスクールに体験入学してみた。確か5000円で3回くらいのお試しレッスンだったと記憶している。

 最初は握り方を教わって、6番アイアンを振らされた。

 上手く当たらない。

 空振り、カスあたりの連続だ。

 止まっている球の方があたらんのか!

 「なんじゃあこりゃぁ~」と心の中で松田優作っぽく愚痴りながら、クラブを振り続ける。

 あまりに苦戦していることに気付いたのか、若い女性を熱心に教えていた、ゴルフのコーチが時折こちらを見て、S弁護士に向かって、「そうじゃなくて、こう振るの。」と身振りで示すが、そんなスイングができるなら、そもそもここに来ているわけがないじゃない。

 あかん、わからんわ。そんな身振りで示されたって、すぐに再現できる程の運動神経がある人なんてどこにいる。そんな運動神経あったら、こんなとこ来るかいな!

 心の中で文句を言いつつも、カスあたりは続く。

 極めて恥ずかしい。

 スクールには、中学生くらいの子供も、若い女性もいるが、間違いなく段違いに、ええ歳こいたS弁護士が下手っぴーなのだ。当たり前と言えば当たり前なのだが、当時はまだ見栄もあったのだろう。恥ずかしくって仕方がない。

 見かねたコーチがつかつかとやって来て、「トップはここ」、と力任せに身体をひねられた。S弁護士の、脇腹には激痛が。。。

 くそーこんなスクール、誰が来てやるか!と思いつつも既に払ってしまったレッスン料はちともったいない。

  そこで耐えて、3回目のスクール。

  別のコーチがS弁護士のスイングを見て、「そうじゃなくて、バチーンと打つの。バチーンと」と口頭指導。

 そのバチーンができるんやったら、苦労せんがな。

 それに、バチーンてなんやねん。

 大阪のおばちゃんの、「ゴキブリが、わーってやってきてなぁ」の「わーっ」と変わらんやないの。

 もうこれはあかん。

 スクール行っても無駄やわ。

 バチーンが分からんS弁護士に、なんぼ指導して頂いても豚に真珠どす。

 ということであえなく、S弁護士のゴルフスクールは、きっかり三日坊主で修了することになった。

 その後何度か、友人に誘われて無理矢理コースに出たこともあるが、ティーグラウンドで友人と別れ、綺麗に整備されたフェアウェイには近寄らず、急斜面やら林やらをゲリラ戦のように渡り歩き、あらぬ方向からグリーン付近に現れて、バンカーの往復びんたから5パットかギブアップという盛りだくさんの内容で、何~にも面白くなかった。

 自分が何打打ったのか分からなくなるので、打数カウンターを買ったものの、10カウントでは足りないことが分かり、15カウントできるものに買い換えたりもしたが、やっぱり面白くも何ともない。

 友人のM弁護士に打ちっ放しに連れて行かれたこともあるが、打席に入り、おもむろにドライバーを振ったら、ボールは物理法則を無視したかのように、ほぼ垂直に舞あがり、真上の屋根に直撃!

「どんな打ち方したら、そんな方向に飛ぶネン?」とあきれられた。

 極めつけは、左ヒジを打撲していたのに、人数が足りないからと無理矢理連れて行かれた北海道で、初日3ホール目くらいにバンカーで大ダフリをやって、更に左ヒジを痛めクラブが握れなくなり、途中リタイヤ。

 翌日は、性懲りもなくゴルフに出かける友人と別れ、美術館と円山動物園のシロクマを見物して時間をつぶす、という何のために北海道に行ったのか分からないことまでやってのけた。

 もうやめだ~。終了~~~~!

 とおもって、S弁護士はゴルフなんぞ記憶の片隅に追いやっていたのですよ。

 ところが・・・・。

(つづく)

「よい子」の苦悩~2007.11.20掲載

 少年事件を扱っている際に、事件を起こした少年の両親の反応として意外に多いのは、「あんなに良い子だったのに」というものです。

 

 そのような少年に接見していると、どうも両親の期待が大きかったり、両親にとって「よい子」を演じすぎてストレスが溜まっていたりすることが多いのです。

 

 どんな子供でも、自分の親に嫌われたくないと考えています。そこで、親が期待するいわゆる「よい子」を演じることが非常に多いと思われます。ところが、親は子供の必死の演技を見破ることができません。この子は、もともと「よい子」なのだと錯覚してしまいます。そして、親はその子が演じている「よい子」が、本当の子供の姿だと思って、「よい子」であることを前提にさらに、先の課題を与えます。

 

 ところが、子供にとっては必死で「よい子」を演じて頑張っているのに、その頑張りは当たり前のこととして評価されず、なんらその点については誉められることなく更に次の課題を与えられてしまうのです。

 

 それでも、親に辛い思いをさせたくない子供は頑張ります。そして親の希望しているであろう内容を実現します。すると、更に次の課題を親は与え、子供は必死に努力してその希望を叶えようとします。そのうち、親は次第になれてきて、「親が希望すればこの子は叶えてくれるのだ」と無意識に思いこみ、親の希望を次々と与えるばかりではなく、その子が努力していても誉めることを忘れ、そればかりか親の希望を叶えられないときは、失望をあらわにします。

 

 子供としては、親の希望をどれだけ頑張って叶えようとしても、それは当たり前とされ、失敗したときだけ責められるという実にストレスの多い場面に陥っていることがあり得るのです。もともと、心の底から良い子である子供なんて殆どいません。どの子供も親に迷惑をかけたくない、親に好かれたいと思って、一生懸命に良い子であろうとしている子供が殆どです。

 

 もっと、親がはやく気づいて誉めてあげていれば、ここまで問題が大きくならなかったのではないかと思う場合も少なくありません。

 

 とはいえ、大人の社会でも、きちんと人を評価することは難しいことです。いつも、ゴミを捨てている人間がたまにゴミを拾っていたりすると、「あいつはええとこもある奴や」と評価されますが、いつもゴミを拾っている人がたまたま急いでいて、落ちているゴミを拾わなかったりすると「あんな奴やとはおもわんかった」と非難されることもあります。

 

 難しいことですが、生まれながらの良い子などまずいないこと、良い子でいる子は殆どが何らかの形で我慢していることが多いこと、を忘れずに、できるだけその子の努力を分かってあげられるようになりたいものです。


 H28.5.26のブログに掲載した、回答率を記載していない文科省のアンケートであるが、さる筋から当該アンケートに関する資料(契約書等)を入手したので、その情報から、本当に法科大学院はバラ色なのか、もう一度ざっと検討してみようと思う。

 当該アンケートは、文科省が株式会社ジュリスティックスと契約を締結して実態調査を行わせたものである。
 (株)ジュリスティックスは、「ジュリナビ」という、法科大学院修了生、在学生の就職支援を生業としている会社であり、もともと、法科大学院に好評価の結果が出ないと自らもおまんま食い上げになりかねない、法科大学院の利害関係者であると思われる。(業務計画書には次の通り記載されている。『株式会社ジュリスティックスは、平成19年度「専門職大学院等における高度職業人養成教育推進プログラム」に選定され、文部科学省より助成を受け、明治大学を主幹事校とする13法科大学院により2008年春から運用を開始した、法科大学院修了生と在学生を対象とする就職・キャリアプランニング支援のためのプロジェクト「ジュリナビ」の実務上の運営主体です。』)

 さて、それを措くとして、問題のアンケート対象であるが、調査対象については業務計画書の表1に明記されている。

 法科大学院修了生は概数38,769名、2008年度以降の「ジュリナビ」登録の全国法科大学院修了生は概数16,000名とされているが、重複を許すものとして調査をしている。その結果、合計約54,769名にアンケート調査を行ったと考えるのが自然である。
そして有効回答数が
①修了生の就業先業種では有効回答数 1274(約53,500名は不明)
②修了生の法科大学院教育に対する満足度では有効回答数 1512
                      (約53,250名は不明)
なのだから、回答率は2.32%~2.76%でしかない。また、どうやって有効回答か否かを判断したかも分からない。
 これでは大した分析も出来ないと思うのだが、豈図らんや、(株)ジュリスティックスは、法科大学院高評価の結論を導き出して見せている。

 更にどういう趣旨なのか分からないが、ジュリナビ登録の法科大学院修了生に限って、「メールのコメント反映すること」との付記がある。
 ヒアリング調査分析については、「ジュリナビ登録の修了生ならびにジュリナビ利用で修了生の採用実績のある企業所属の修了生にヒアリングを開始し、より具体的な就業状況、法科大学院で学んだことの中で実際に業務に役立っていること、法科大学院の魅力等について取りまとめる。」と明記されている。法科大学院の問題点について取りまとめる視点は一切ない。
 これって、実態調査というよりも結論先にありきの偏った調査を行うことを前提とした仕様ではないのか。ひかえめに見たとしても、この時点で出来レース感を払拭できない。

 次に、法科大学院修了生に対する法律事務所の満足度調査であるが、どうやら、新60期以降の弁護士が複数名所属する法律事務所を中心に調査を行ったようだ。(株)ジュリスティックスの算出した概数では6500事務所がその対象となっているらしい。そのうち、有効回答数は775である。
 非常に満足が148事務所、満足が279事務所、どちらでもないが259事務所、不満が57事務所、非常に不満が32事務所となっている。約5700の事務所がノーコメントだ。
 採用者の声欄の中規模・一般民事系法律事務所代表弁護士のコメントは、一見法科大学院卒業生に対する高評価とも取れるが、結局は民間企業で経験を積んできた人への評価をしているだけである。結論的に、法科大学院生ならでは、と無理矢理法科大学院と結びつけている感が否めない。

 公的機関や企業の満足度調査については、どれだけの数を調査したのか明確ではないが、
a 新60期以降の弁護士、法曹有資格者、修了生の所属する行政機関・企業約600、
b 上場企業を中心とする大手企業約3150,
c 経営法友会加盟企業・組織内弁護士協会弁護士所属企業約1180、
d ジュリナビ利用で修了生の採用実績のある行政機関・企業等約250
が対象のようである。
合計で約5180。これは重複しない数字だそうだ。

 ちなみに経営法友会は、法科大学院と組んでしょっちゅうセミナーをやっていたりする。かなり法科大学院よりの団体と見受けられる。

 それはさておくとしても、大手企業の3150社を除くと、法科大学院出身者を採用してその者、若しくは新たな法科大学院出身者が所属し続けている企業等がメインの調査対象のようだ。それなら満足度が高くて当然だ。満足したからこそ継続して所属させているのだろうし、再度採用したりもするだろうからだ。しかし、本来なら一度でも採用しているところ全てを調査対象とすべきはずだ。なぜなら、一度法科大学院出身者を採用して失敗し、二度と採用していないところもあるはずだし、そのような企業・公的機関も対象として取り込まないと法科大学院終了者に対する評価について、正確な判断はできないからだ。

 例えていえば、トヨタ車が好きな人を調査するのに、トヨタに車を買いに来る人だけを調査して、「トヨタ車の好感度は90%だ。だから全国民の90%はトヨタ車が好きなのだ。」、と結論づけることはできないだろう。


 さて、そのような偏った対象を調査した結果になるとは思うが、
④修了生に対する公的機関の満足度では有効回答数 32
⑤修了生に対する企業の満足度では有効回答数 110

 総務省によれば市町村の数は平成26年4月で1718、これに都道府県や特別区、中央官庁を加えれば、かなりの数になる。もっとも、その中で法科大学院出身者を採用している公的機関がどれだけあるのか全く分からない。仮に分かったとしても現在採用している公的機関が対象だから、先のトヨタ車の例から分かるように、偏ったデータになることは明白だ。
このデータで、ホントにきちんとした分析が出来るとは思えない。


 企業についてはかなりの低回答率である。上場企業を中心とする大手企業約3150,経営法友会加盟企業・組織内弁護士協会弁護士所属企業約1180、だから、少なくとも4330社はあるはずだ。
 法科大学院寄りと思われる経営法友会加盟企業・組織内弁護士協会弁護士所属企業約1180を調査対象に入れた上で、なお単純回答率2.54%である。
 つまり97%以上の企業は無関心というのが素直な分析になってもおかしくはない。


 なお、業務計画書には、企業等に対して採用実績と今後の採用希望も調査するようになっている。そして、その結果を一番知りたいのが法科大学院であり法科大学院志願者だと思うが、私の見る限り採用実績と今後の採用希望に関するアンケート結果はどこにも記載されていないぞ。
どうして結果が出てないんだろう?
表沙汰にできない調査結果でも出たのではないかと心配になってしまうね。


 法科大学院って、本当にバラ色なんですか?
 それならどうして、志願者が減っているんですか?

 誰か教えて下さい。

 

某国での問題~2011.8.19掲載

以下の文章を読んで、某国のとるべき手段を述べなさい。

 

 某国の話である。

 

 これまで某国では、国家にとって極めて重大な製品Hについて、検査合格率2~3%という厳しい検査を行い検査に通過した高品質の製品Sを民間から買い上げ、さらに国家がその製品に費用をかけて製品Hとして完成させ必要に応じて国内司法部門で使用していた。

 

 ところが、これまで、その製品Sを作ることに失敗してきたD社が、子会社LS社を設立して猛然と売り込みにやってきた。

 

 LS社のうたい文句はこうだ。

 

「LS社は厳しく品質管理をしますから、お金はかかるかもしれませんが、今まで以上に絶対良い品質の製品Sを納入します。うちの工場でも品質保証できないところはきちんと淘汰します。製品Sから製品Hまでの過程についても半分ほど進めておきます。ですから製品Sの製作はうちに任せて下さい。」

 

 このようにLS社は言うし、D社の社員である学者達は自分の利権から、また、なんにも知らないマスコミも面白がってそれを後押ししたので、某国司法部門にとって極めて大事な製品Hの元になる製品Sについて、某国では税金を投じてLS社に製作を任せてみることになった。某国としては、本当にLS社の言うとおり高品質な製品Sが作れるのなら、某国司法部門の需要に応じる形であれば、製品Sのうち7割程度は検査に合格させても良いかなと考えていた。

 

 ところが、受注が決まったとたんLS社は製作工場をバカみたいに多数設立し、某国司法部門が必要とする製品H以上の製品Sを製作する体制を整え、大量生産に乗り出した。その結果、某国の投入する税金も高額に上ることになった。

 

 さて、製品Sが出来上がったというので、某国がいつも通りの基準でLS社の製作した製品Sを検査してみたところ、高品質の製品Sを作ると言っていたはずなのに、実際には検査レベルを限界まで落としても2~3割程度しか合格品はなく、今まで以上に質の悪い製品Sも多く含まれていた。また工場にも優劣が明らかにあるにもかかわらず不良品ばかり作る工場についても一向に淘汰する気配がないし、製品Sから製品Hまでの過程も半分ほど進めておくと言いながら、全く実現していない。

 

 某国が、LS社に対して、おかしいじゃないかと文句を言って改善を求めたところ、現在対応を協議中ですとか、各工場で製作する製品Sの数を若干減らして対応するから大丈夫というばかりで、らちがあかない。

 

 LS社の各地の工場にも問い合わせしてみたところ、製作担当者の話しだが、「実際に国に対して出荷できる出来る水準をクリアーしているといってもよい製品Sは、ひいき目に見て、うちで作る製品Sのうち良くできた方から3分の1くらいまでです。しかし、お金をかけて作っているので、出荷時検査で不良品と分かっていてもLS社の経営戦略上、水準以下の製品Sをはねることが出来ないのです。」との答えが返ってきた。確かに某国は、LS社に全ての製品Sの製作を依頼しているため、検査に合格しない製品Sに対する製作代金まで一部負担している。

 

 何度も改善を求められ、挙げ句の果てには、不良品を多く製作しているくせに逆ギレしたLS社は、自ら約束を反故にしたことは棚に上げ、

 

「検査でうちの製品Sを多くを合格させないと国際競争で負けるぞ、それでいいのか。当初の予定通り検査では7割ほど合格させるのがスジじゃないのか。検査での合格率を上げないとLS社としても良い材料が手に入らなくなるぞ、それでもいいのか。それよりも、今までの検査が厳しすぎるのが問題だ。うちの商品に合わせた検査に変えるべきだ。製品Sから製品Hまでの過程を半分ほど進めておくといった覚えはない。」と開き直ってきた。

 

 

 某国はどう対応するべきであろうか。

(ストーリー)

 日本が南北に分断された、もう一つの戦後の世界。米軍統治下の青森の少年・藤沢ヒロキと白川タクヤは、同級生の沢渡サユリに憧れていた。彼らの瞳が見つめる先は彼女と、そしてもうひとつ。津軽海峡を走る国境線の向こう側、ユニオン占領下の北海道に建設された、謎の巨大な「塔」。いつか自分たちの力であの「塔」まで飛ぼうと、小型飛行機を組み立てる二人。

だが中学三年の夏、サユリは突然、東京に転校してしまう...。言いようのない虚脱感の中で、うやむやのうちに飛行機作りも投げ出され、ヒロキは東京の高校へ、タクヤは青森の高校へとそれぞれ別の道を歩き始める。

三年後、ヒロキは偶然、サユリがあの夏からずっと原因不明の病により、眠り続けたままなのだということを知る。サユリを永遠の眠りから救おうと決意し、タクヤに協力を求めるヒロキ。そして眠り姫の目を覚まそうとする二人の騎士は、思いもかけず「塔」とこの世界の秘密に近づいていくことになる。

「サユリを救うのか、それとも世界を救うのか」
はたして彼らは、いつかの放課後に交わした約束の場所に立つことができるのか...。
(公式HPより)

 

    
以下、ネタバレを含む私の感想である。私はDVDを見ただけであり、パンフレットなどの関連書籍等も一切読んでいないので、思い違いや不正確な部分があるかもしれないし、後で考えが変わるかもしれないが、映画を見た者としての現時点での感想として、お許し頂きたい。

 

  

最初に、この映画を見終わったときに、まず、ノスタルジックで美しいという印象を受けた。しかしその中で、いくつかの違和感を感じた部分があった。

 

  

違和感に関連するのは、

まず、主人公ヒロキの「あの遠い日に、僕たちはかなえられない約束をした。」というモノローグである。

つぎに、冒頭に大人になったヒロキがタクヤと一緒に飛行機(ヴェラシーラ)を作っていた思い出の地を訪れるのだが、そのときヒロキが一人であり、決して楽しそうな表情を浮かべているわけではない、ということ。

サユリが廃駅跡から落下しそうになったときにヒロキが手をさしのべるが、そのときサユリが「以前にも私たち・・・・」と語ること、

ユニオンの塔まで飛行する前日の眠りで、夢の中の教室で再会したサユリに対して、ヒロキが帰ろうとする際に、「おやすみ」と声をかけること、

そして、ユニオンの塔まで飛行し、長い眠りから覚めたサユリが、夢の中でヒロキ君と呼んでいたにも関わらず、目覚めたときにヒロキに対して藤沢君と呼びかけること。

彼女はいつも何かをなくす予感があるといっていた、というモノローグ、

 
等である。

 

 

 

 

「雲のむこう、約束の場所」という映画の題名から考える限り、ヒロキのモノローグで言うところの「約束」とは、タクヤと一緒に作った飛行機ヴェラシーラで、サユリをユニオンの塔まで連れて行くことと解釈するのは素直かもしれない。しかし、ヒロキは実際にはタクヤの協力を得てヴェラシーラを飛ばし、ユニオンの塔までサユリを連れて行きサユリの長い眠りを覚まさせているのである。

 

 

つまり、上記の意味での約束であるならば、約束はかなえられているのだ。

 

 

だが、ヒロキの「あの遠い日に、僕たちは、かなえられない約束をした。」というモノローグは、その経験の後において語られている。

 

 

 

 

どこか引っかかる。

 

 

 

 

確かに、ヒロキとタクヤとサユリは3人で、一緒にユニオンの塔まで飛ぼうと中学生の時に約束をしている。そして、その約束はかなえられた(3人一緒という意味では約束は叶っていないが、元もとヴェラシーラは2人乗りなのでこの点は考えない。)。しかも「かなえられない約束」というモノローグは、あくまでヒロキ一人の発言でしかない。もし3人で交わした約束がかなえられていないのなら、タクヤもサユリも同じ言葉を述べていてもおかしくはない。だがそのような場面は見あたらない。

 

 

 

 

おそらく別の約束があったのではないか、そういう視点で、この映画を見てみると、ヒロキがサユリともう一カ所約束をかわしていると思われる場面がある。

 

 

 

 

サユリのいた病室で、夢を通じて惹かれあい、求め合っていたヒロキとサユリが、夢の中で再会するシーン(お互いが「ずっと・ずっと探していた・・・」と話すシーン)の続きに、ヒロキが「(正確ではないかもしれないが)これからは、ずっと一緒にいてサユリを守るよ、約束する。」という言葉を交わす場面があるのだ。その場面のあと、ユニオンの塔の活動が活発化して沈静化するシーンが描かれるが、その直後にもう一度「あの遠い日に、僕たちは、かなえられない約束をした。」というヒロキのモノローグが入る。

 

 

 

 

ユニオンの塔まで飛んだ後でも、なお、残った「かなえられない約束」という点から考えると、ヒロキのいう「かなえられない約束」とは、「これからずっと(一緒にいて)サユリを守る」という約束と考えるほうがよさそうだ。

 

 

 

 

ヒロキとサユリの約束であれば、なぜ、サユリがその約束を語らないのか。それは、夢から覚め、現実に戻ることと引き替えに、サユリは夢の中での記憶を全て失ってしまったからだ。サユリが夢の中で、その存在を感じ、求め続けていた、ヒロキへの思慕の感情、サユリはそれを目覚めるとなくしてしまうことに気づき、目覚めの直前、必死で祈る。「この気持ちをヒロキ君に伝えられたら他には、もう、何もいりません。」とまで祈るのだ。

 

 

しかし、現実に目覚めたときに、夢の中で育み続けてきたヒロキへの想いは、無残にも消え去ってしまう。だからこそ、目覚めたときに真っ先にヒロキ君と呼びかけておかしくないサユリが、藤沢君、と若干遠慮がちな呼びかけになってしまっているのではないだろうか。

 

 

 

 

確かに、サユリは目覚めた後、ヒロキに取りすがって泣く。しかしそれは、決して夢から覚めたうれしさや、夢の中で求めていたヒロキに再会できたうれしさの涙ではないだろう。夢の中で育み続けてきたヒロキとサユリの想いについて、サユリにはその想いがかつてあったことすら全く記憶から失われてしまったのだ。サユリは、もうヒロキとの夢の中であるが故に純粋に結晶化した想い自体の存在すら、忘れてしまったのだ。このときのサユリの涙は、なにか分からないが、極めて大事な何かをなくしてしまった、というサユリの漠然とした巨大な喪失感を感じているからこその涙だったのではなかろうか。

 
 

 

一方ヒロキにとっての現実は極めて残酷だ。サユリとの夢の中での邂逅、惹かれあい、求め合った時間、その感覚は、夢の中でのものであるというその純粋さ故に、全てヒロキの記憶に鮮明に残っている。しかし、現実に戻ったサユリの中では既にその記憶は跡形もないのだ。ヒロキはサユリが目覚めた直後、「何か大事なことを伝えなきゃいけないのに、忘れちゃった・・・・」と泣くサユリに対して、「大丈夫だよ、もう目が覚めたんだから」となぐさめる。

 

 

 

 

しかし、現実はそうではなかった。もしサユリが、夢の中でヒロキと2人で育んだ純粋な思いを覚えていてその想いが実現したのなら、ヒロキが約束通りサユリをずっと守っていられたのなら、冒頭のシーンでヒロキとサユリは二人で思い出の場所にやって来ていてしかるべきだ。

 

 

 

 

だからこそ、冒頭にヒロキは「現実は何度でも僕の期待を裏切る」と語っているのではないか。

 

 

 

 

「かなえられない約束」をした日が「あの遠い日」であるというのも、こう考えれば頷ける。一緒に約束を交わしたサユリが、そのときの記憶を失った以上、もはや、サユリと約束を交わした日は、ヒロキだけに残された遠い遠い記憶の中にしかないのだから。

  
 

 

 

このままの時間がずっと続いていくように、なんの疑いもなく感じられた思春期。この痛いほど純粋で壊れやすい思春期の記憶を新海誠監督は、ついにかなえられることのなかった、ヒロキとサユリとの第2の約束になぞらえたように思えてならない。サユリは、夢の中のあまりにも純粋であったヒロキとの心の交流(思春期の記憶)を失い、巨大な喪失感と引き替えに現実に目覚め、大人へと成長していく。

 

 

 

 

現実に目覚めることによって、大人として現実に適合していかなければならないときに、無残に失われ、封じ込められていく、あまりにも儚い思春期の記憶。

 
 

 

 

どこか切なく、ノスタルジックな、(過剰ともいえる)映像の美しさも、この人生の宝物のような思春期の記憶を表現するためだと考えれば納得がいく。

 
 

 

ここまで考えたとき、私は、サユリが、目覚めてからヒロキが思い出の場所を訪れるまでの間に、死んでいてくれればいいのにとさえ、思ってしまった。

仮に、サユリが死んでしまったのであれば、ヒロキも納得がいくかもしれない。あの美しい思春期の(夢の)記憶を一人でヒロキが胸に抱えたまま、しかしサユリが別の人と生き続けていたとしたら、あまりにもヒロキにとって、つらいかもしれないと思ったからだ。

 

 

 

 

だがおそらく、サユリは他の人と別の道を歩み、ヒロキは、この痛みを抱えつつ生き続けているはずだ。

 

 

映画の最後に流れる、エンディングソング「きみのこえ」の歌詞はこのようになっているのだから。

 
 

 

「きみのこえ」    作詞新海誠     作・編曲 天門

 

色あせた青ににじむ 白い雲 遠いあの日のいろ
心の奥の誰にも 隠してる痛み
僕のすべてかけた 言葉もう遠く
なくす日々の中で今も きみは 僕をあたためてる
きみのこえ きみのかたち 照らした光
かなうなら 僕のこえ どこかのきみ とどくように
僕は生きてく
日差しに灼けたレールから 響くおと遠く あの日のこえ
あの雲のむこう今でも 約束の場所ある
いつからか孤独 僕を囲み きしむ心
過ぎる時の中できっと 僕はきみをなくしていく
きみの髪 空と雲 とかした世界 秘密に満ちて
きみのこえ やさしい指 風うける肌
こころ強くする
いつまでも こころ震わす きみの背中
願いいただ 僕の歌 どこかのきみ とどきますよう
僕は生きてく
きみのこえ きみのかたち 照らした光
かなうなら 生きる場所 違うけれど 優しく強く
僕は生きたい 

 

 

 

 

映像だけではなく、音楽も実に素晴らしい映画である。いろいろ考えていると美しい夕陽がどうしても見たくなる、そんな映画だ。

 
 

 

一度ごらんになることを、強くお勧めする。

 
 

DVDサービスプライス版、2400円(税込)

法科大学院はバラ色だ!?


 今年の5月11日に行われた中教審法科大学院特別委員会に次のような資料が配付されたようだ。

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo4/012/siryo/__icsFiles/afieldfile/2016/05/20/1370787_13.pdf


 題して、「法科大学院とあなたが拓く新しい法律家の未来」という多色刷り豪華パンフレットだ。

 文科省あたりがアンケート調査をしたらしく、そのデータを引用しながら、「多様化する法務博士のキャリア」など、バラ色の未来が描かれている。

 確か、私の事務所にもアンケート調査が来ていたようにも思うが、質問をざっと見たところ、答えようのない質問も多く、また回答を誘導するような選択肢が多かったため、「こんなアンケート、アンケートにもなっとらん、アホらしい!」と思って速攻ゴミ箱に投棄したような記憶がある。

 驚くべきことに、それは真面目なアンケートだったらしく、そのアンケート結果がおそらく引用されているようだ。

 しかも、そのアンケート結果の引用も実に恣意的だ。
 なにより、アンケートの信頼性を推測するために最も大事な回答率が全く記載されていない。回答率を隠し、どういう基準で有効回答数をカウントしたかも不明確というあきれた状況であり、これでは、アンケートを信じろという方がまず無理だ。

ちなみに
①修了生の就業先業種では有効回答数 1274
②修了生の法科大学院教育に対する満足度では有効回答数 1512
③修了生に対する法律事務所の満足度では有効回答数 775
④修了生に対する公的機関の満足度では有効回答数 32
⑤修了生に対する企業の満足度では有効回答数 110
⑥法曹資格を有しない修了生の就業先業種では有効回答数 373
となっている。

 ①に関しては、法科大学院を卒業して就職ができなかった人の存在を無視しているようなので、就職出来た人だけを対象にアンケートをしても卒業生の活躍の場が拡大したとは言えないのではないか。卒業生には卒業しても就職出来なかった人も当然含まれるはずだからである。

 ②に関しては、どちらでもないという回答は少なくとも法科大学院教育に満足はしていないことになるから、それを含めれば、法科大学院教育に満足していない修了生の割合は約45%になる。ところがこのデータに添付されているコメントは「修了生は法科大学院を積極的に評価」となっており、ちょっと偏った評価だと言わざるを得ない。

 ③に関しても、どちらでもないという評価は、少なくとも修了生に対して法律事務所は満足はしていないということだから、それを含めれば、法科大学院修了生に対して満足していない法律事務所の割合は45%にのぼる。また、法律事務所が修了生に期待する能力・資質というデータも載っているが、あくまで期待している能力に過ぎず、それを修了生が備えていると回答したデータではない。期待しても期待はずれということも十分あり得る。しかし、コメントは「紛争解決への基礎的な能力に対する期待が高い」と、修了生が法科大学院教育によって、さもその能力を備えることができているかのような表現に読める。

 特に④・⑤などは、基礎データがあまりにも少なすぎてこのアンケート結果から何かを推論すること自体暴挙といっても良いくらいだ。
それに公的機関ってなんだろう?
 株式会社は中小企業庁によれば100万社以上、東証上場企業に限っても3500社以上あったはずだ。仮に上場企業だけにアンケートを行ったとしても、回答率3%程度だ。残りの97%は無関心なのかもしれないぞ。その点はどう考えているのだろう。

 ⑥についても、就業できなかった人は回答を避ける傾向にあることは明らかだ。それに、法科大学院卒業生のうち法曹資格を取得できなかった人数の方が多いと思われるところ、有効回答数が①の約4分の1にすぎないことも気に掛かる。


 それに「採用者の声」などの記載もあるが、これもバラ色のものばかり。批判的な意見は一切ない。どうして「個人の感想です。就職を保証するものではありません。」と事実を明記しないのだろう。深夜のダイエット食品のTV通販でも、それくらいは明記しているもんだがな。


 とにかく、法科大学院は良いところだ、卒業すれば(司法試験に合格しなくても)上手く行くという、事実を相当歪曲した内容を刷り込もうとする、プロパガンダのためのパンフレットだ。
 こんなお粗末なパンフレットで志願者が増えると考えること自体、大学生や法曹志願者を馬鹿にしているとしか思えない。それに、このパンフレットを鵜呑みにするような「おつむ」では法科大学院経由で法曹界に来ても役に立たないだろう。


 問題は、これの多色刷り豪華パンフレットを作成したのが
  文部科学省 高等教育局 専門教育課 専門職大学院室
だということだ。

 つまるところ、税金の投入である。
 これまでさんざん法科大学院には税金が投入されてきているのだが、更に税金を投じようというのだろうか。法科大学院の教授さんは懐が痛むわけではないし、志願者が増えれば自分達は安泰だから、それで良いのか。

 
 本当に法曹という仕事に魅力があるのなら、そして、法科大学院が本当に価値のある教育をしているのなら放っておいても法曹志願者・法科大学院入学希望者は増える。

 子供でも分かることを無視して、税金をもっと使おうとする学者・官僚達のおつむの中身は一体、どうなっているのだろうか。

 春爛漫でタンポポでも咲き乱れているお花畑としか思えないなぁ。

(後記:パンフレットの話しではなく共通到達度試験に関する深い分析は、小林正啓先生のブログをご参照のこと。http://hanamizukilaw.cocolog-nifty.com/blog/)

 ちなみに今年の法科大学院入学者は僅か1857名。

 奇しくも昨年の司法試験合格者1850名とほぼ同じである。

やはりまずいと思うな、法科大学院制度

 5月11日に中教審法科大学院特別委員会が公表した、法科大学院志願者・入学者数の推移(H16年度~H28年度)のデータがある。

 法科大学院志願者数(のべ人数)は、
 平成16年度72800名だったのが
 平成28年度 8274名になっている。
 志願者約89%減少。ほぼ9割の減少である。
 ついに、のべ人数でも1万人を切った。

 これは併願している受験生を複人数とカウントする、のべ人数によるデータだから、実際の志願者はもっと少ないことになる。仮に1人が2校受験していたら、志願者数の実数は4137名になるし、1人が3校受験していたら、志願者数の実数は2758名になる。これだけ志願者が減少すれば、法科大学院入試で競争原理が働かなくなるから、優秀な人材を法科大学院入試で選抜することはもはやできていないと言うべきだ。法科大学院だって魔法使いではない。優秀な人材が集まらなければ優秀な人材を輩出することは無理である。幾ら大リーグの監督を連れてきて指導させても草野球のチームでは、優秀な人材を揃えた高校野球のチームに敵うわけがないのである。
 
 一方、司法試験予備試験の出願者は平成28年度12767人。こちらは併願できないので実数と見て良いだろう。

 上記の比較からも分かるように、いくら、法科大学院が自らの教育が素晴らしいと自画自賛しても、司法試験を目指す人からは相手にされていない状況と言えよう。

 実際にも、大手法律事務所では、予備試験合格者に対して(司法試験に合格していない前から)特別な就職説明会を実施しているところもある。もし法科大学院関係者が言うように、法科大学院の教育が素晴らしくかつ実務家に必須のものであるならば、大手法律事務所が法科大学院卒業生を優先して採用するはずだが、現実にはそうなっていない。
 つまり、実務界から見ても、法科大学院の教育は法科大学院関係者が言うほど、実務に役立っていないことが看て取れる。
 また、以前、法科大学院を卒業しても3回の受験制限があったが、その受験制限の理由として、法科大学院側は法科大学院教育の効果が3年程度で消滅するからと説明していたはずだ。わずか3年で消滅するような教育効果しか与えられないのに、高い費用と長い時間をかけて法曹志願者を拘束する必要があるのだろうか。

 そもそも、法科大学院の教授と言っても実務家教員を除いて司法試験に合格している教授はほとんどいないだろうし、実務の経験を持つ学者教員は極めて少ないはずだ。そのような学者教員の方が、理論はともかく実務家を育てることが果たして可能なのだろうか。
 たとえて言うなら、幾ら長年自動車のエンジンの研究をしていて幾ら高度なエンジンに関する理論を構築していても、実際に免許を取得して運転をしていなければ、自動車の運転の仕方は教えられないのと同じなのだ。

 法科大学院は、司法試験合格者数を高止まりさせ合格率を上げるべきだと述べ、法科大学院べったりの日弁連は弁護士の仕事のやりがいをアピールすれば志願者は増えると述べるなど、未だに寝惚けたことを言っているが、そんなことで志願者が回復するはずがない。
 日経新聞も、先日の社説で法曹のやりがいや意義を発信せよなどと、無責任に言っているようだ。

 では聞くが、日経新聞や法科大学院がヘッドハンティングをする際に、「2~3年間高額な費用を払って必死に勉強して頂き、合格率2~3割の試験に合格すれば、1年間研修して頂いた後にさらに修了試験に合格することを条件に職に就けます。この研修期間の生活費は自腹です。職に就けない場合は独立して下さい。ちなみに健康保険は国保です。年金は国民年金です。定年はありませんし自由ですが、収入の保証はありませんし、仕事の安定もありません。潜在的ニーズはあるだろうと学者は言っていますが、同業者が急激に増えすぎて、1人あたりの仕事量と平均所得は減少しています。ただ、仕事にやりがいや意義はあります。」といって、誰が引っかかってくれるのだろうか。

 法曹志願者はバカではない。

 はっきり言えば、法曹志願者を増やすためには、法曹資格の価値を上げるしかない。その資格を取得するに多大な時間と費用と労力をかけても、見合うだけのものにしなければ、志願者は増えない。旧司法試験時代は合格率1%台の年もあったほど難関であったが、志願者は増加していたことからも明らかだ。
 
 優秀な人材が法曹界に入ってくるのであれば予備試験だって構わないと思うが、法科大学院側は、予備試験合格者を制限施せよなどと提言している。このような提言をする法科大学院側に国民のために優秀な法曹を排出するという目的は、もはや見えない。
 法科大学院制度維持が主眼になってしまっているとしか思えない。


 これじゃあ、ダメだよね。

 数年前ツイッターに投稿した、高橋宏志教授(現弁護士)が唱えた、かの有名な成仏理論のパロディだが、時折リツイートしてくれる人もいるようだ。

 ツイッターの字数制限もあり一部しかリツイートされていないこともあるようなので、全文を再掲載する。

(新成仏理論)
 問題の捉え方がそもそも間違っている。食べていけるかどうかをLSが考えるというのが間違っているのである。何のためにLSを設立したのか。私の知らない大学教授が言ったことがある。世の中の人々のお役に立つ仕事をしている限り、世の中の人々の方が自分達を飢えさせることをしない、と。人々のお役に立つ仕事をしていれば、LSも飢え死にすることはないであろう。飢え死にさえしなければ、LS、まずはそれでよいのではないか。その上に、人々から感謝されることがあるのであれば、LS、喜んで成仏できるというものであろう。

(ここまで)

 さてさて、成仏理論が正しければ、人々のお役に立つ仕事が出来ていれば、世の中の人がLSを飢えさせるはずはないんだがなぁ。

 LSは、なんでどんどん撤退するんだろうね。

 まさか、国民の皆様に税金をさんざん投入させておきながら、「すみません。人々のお役に立つ仕事が出来ていませんでした!」とか、今さら言うなよ。

 撤退して逃げようなんてしないで、しっかり成仏して下さい。

 しかも高橋氏が言うように、喜んで、ね。