ジプシーのサーカス

ずいぶん前にも書いたように思うし、未だに子供のようだと良く言われるが、私はサーカスを見ることが結構好きだ。といってもシルクドソレイユのような曲芸を極めたものよりも、サーカス一座があちこち周りながら公演しているような昔ながらのサーカスが好みである。

海外に出かけた際にも、機会があればサーカスを見たりする。

今でも印象に残っているのは、もう20年以上も前に、パリで見た、ジプシーのサーカス。

Cirque Romanésと書いてあったので、ロマネ一座といえばいいのかな。

たぶんサーカス一家という感じで、家族・親族でやっているような感じだった。

哀愁あふれる音楽の生演奏と、派手ではないが暖かみのある出し物。

日本なら児童福祉法にひかっかる可能性もありそうな、少女の綱の演技があったし、団長らしき人の出し物は、はしごを登ったり降りたりして最後にヤギに自分の頭を咬ませたりするものだった。

公演終了後には、揚げパンの屋台のようなものが出てきて売っていた。

インターネットで検索してみると、まだ健在のようだ。

機会があれば、再訪してみたいサーカスの一つだ。

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Cirque Romanés(猫の曲芸)

デジカメの功罪

 私は、海外に出かけたときなどにデジカメで写真を撮る。たいていは風景写真が多く、スナップ写真を撮ることはごく希だ。 

 といっても、高度な技が使える一眼レフなどはややこしくて到底使えないので、望遠の効くコンパクトデジカメといわれる部類のカメラを使っている。

 ずいぶん前から年賀状には自分の撮った写真を使っているので、嬉しいことに毎年楽しみにして下さっている方もいるようだ。賞めてくれる方も多く、あるときなど、小さな出版社の方から写真集を出しませんかとお世辞をいわれたこともある。

 とはいえ、私自身、海外旅行に初めて出かけたときに、固定焦点のコンパクトカメラでフィルムを入れて撮っていた時に撮影できた写真に、まだ並ぶ写真が撮れないでいるように感じている。

 まだ、海外にでかけてもおそるおそる街を歩いていた頃に、良いなと思う被写体を見つけても、あと何枚分しかフィルムがない・・・・ここで使って良いのか・・・などと悩みながら撮影した写真に敵わない気がするのだ。

 もちろん、海外旅行に慣れていなくて無心に新鮮な気持ちのまま撮影できていたということも多分にあるだろう。

 それと同時に、今のデジカメでは、取り敢えず撮っておいて後で見ればいいや。と気楽にシャッターを切りすぎることも理由ではないかとも感じている。

 確かにデジカメは、メモリーの範囲内でたくさん撮影可能であるし、失敗したらすぐ消去すれば足りるので、簡単だしお気楽だ。フィルムでの撮影のように、現像料がかかるわけでもなく、現像してみるまでどう写っているのか分からないということもない。

 しかし、お気楽であるが故に、心を震わせる風景に出会ったときに、とにかく撮っておこうと何枚も撮影してしまうのだが、そのようなときに私の心の中のどこかで、その風景と真剣に向き合いきれていない部分が残ってしまうようのだ。

 

 もちろん便利なデジカメなので、もうフィルムを使ったカメラに戻ることは現実にはできない。しかし、どこかで被写体に真剣かつ無心に向き合うことができていない気がする自分に、少し残念な思いがすることもまた事実だったりするのである。

司法試験受験予定者がね・・・

 かつて司法試験は約3万人程度の受験者で、合格者約500~600人、合格率2%であり、現代の科挙と呼ばれたこともあった。短答式試験で5人~6人に1人(上位20%前後)に絞られ、短答式試験を合格した者の中から論文式試験でさらに7~8人に絞られ、口述試験もあった。

 近時司法試験の合格者は、1500人前後に落ち着いてきてはいるものの、問題は受験者数だ。

 平成31年(令和元年)の司法試験受験予定者数は、4899名(H31.4.19法務省発表)である。昨年の受験予定者数であった5284名から400人近く減少した。

 かつての司法試験に比べて、合格者数が3倍に増加した反面、受験者数は約85%もの大幅減少なのだ。

 仮に今年の合格者が1500名程度だとすると、単純計算した合格率は約30.6%となる。ほぼ3人に1人が合格するのだ。

 この点、受験者の大半が法科大学院卒業者だから、受験生のレベルが違うとの批判もあり得よう。しかし、受験生のレベルが多少違おうが、単純に合格率だけで計算すれば、15倍合格しやすくなっている状況で、かつてのレベルが維持できるはずがないと私は思う。

 私が見る限り、短答式試験は部分点も設けられるなど点数を取りやすくする工夫もなされているほか、単純な正誤の選択肢も多く、以前に比べると明らかに簡単になっているし、合格点も全然高く設定されてはいない。だから、短答式試験で不合格の点数しか取れない受験生は、そもそも箸にも棒にもかからない。

 例えば昨年の実績では予備試験ルートの受験生の短答式試験合格率は実受験者での合格率は99.5%なのだ。予備試験合格者は法科大学院卒業者と同レベルの学識を有すると予備試験で判断された者達だから、この合格率から見ても、近時の短答式試験の合格は極めて容易であることは理解できよう。

 こんなザルのような短答式試験では、足切りの選別機能を果たすことにもなっていないようにも思われるが、豈図らんや、法科大学院ルートの受験生の短答式試験合格率は実受験者での合格率で67.3%。つまり、法科大学院ルートの受験生のうち3人に1人が、どうしようもない点数しか取れていないのだ。

 これは、受験生が悪いのではない。法科大学院にきちんとした教育能力がないからである(一部の合格率の高い法科大学院の存在は否定しない。制度全体としての話である。)。

 さて、今年の受験予定者のうち4506名が法科大学院ルート、393名が予備試験ルートだから、仮に昨年度の実績と同様だ考えると、

 法科大学院ルートの昨年の受験予定者5284名→実受験者数4805名(約90.9%)なので、今年の実受験者数は4506×0.909=4096名程度と考えられる。そのうち、短答式試験合格率が昨年並みだとすると、論文試験を採点してもらえる法科大学院ルートの受験生は、4095×0.673=2757名と試算できる。

 予備試験ルートの昨年の受験予定者442名→433名(約98%)なので、今年の実受験者数は393×0.98=385名と考えられる。そのうち、短答式試験合格率が昨年並みだとすると、論文試験を採点してもらえる予備試験ルートの受験生は385×0.995=383名

 だとすると、2757名+383名=3140名で、約1500名程度の論文試験合格を目指すことになる。

 平たくいえば、およそ2人に1人が論文試験に合格だ。

 最高裁は公には認めてはいないが、裁判所から弁護士会に対し、若手弁護士のレベルダウンがひどいので、講師はいくらでも派遣するから若手向けの研修をやってくれと依頼されているという非公式のお話があることは、実は何度も聞いている。かつて法的知識がなければまともに書けなかった2段方式の起案も司法研修所では行われていないと聞くし、2回試験も部分点が取りやすいような構成に変更されたと聞いている。

 司法試験も2回試験もレベルは落としていませんなどと建前ばかり振りかざしていたら、司法全体が転ける。

 合格者数ありきの合格判定ではなく、現実をきちんと見据えて、厳格に司法試験と2回試験を実施すべき時期に来ているように私は思う。

 

 

 

光の路

2015年のGWのこと。

夕方以降は、ほとんど車もすれ違うことのない、NZ南島の国道。

大きな月が、湖面に光の路を拓いたのを見かけた。

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「最高裁に告ぐ」 岡口基一著

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 昨年「分限裁判」で、最高裁から戒告処分を受けた岡口判事が、自らの分限裁判に関して書いた本である。

 この本の中で岡口判事はこう語る。

「だが、バッシングを畏れて世間に迎合する判決を下すようになったら司法は終わりである。」

 かっこいい!

 建前でこう言える人は多いだろうが、本音で本心からこう言える人はそうはいない。

 分限裁判を担当した最高裁判事で、岡口判事のように身命を賭して断言できる裁判官は何人いるだろうか。

 平易な文章で書かれているため、法曹関係者以外でも十分読める。

 法曹関係者だけでなく、多くの方に是非読んでもらいたい。

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京都川端通りの桜

本日午後2時頃の、京都川端通り(今出川通りより北を望む)のソメイヨシノの並木。

おそらく、明日か明後日には満開だろう。

暖かいので、週末までもつのか少し不安だが、お天気が良ければ凄い人出になりそうだ。

ちなみに、昨年満開になったのは3月30日頃。

今年は急に冷えたため少し遅れ気味。

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耀変天目茶碗

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 その茶碗を見たのは、確か3年近く前のETV特集だったと思う。

 何の気なしに食事をとりながらTVを見ていた私は、ある場面で思わず「うわ~」とため息を漏らし、箸が止まってしまった。そして食事を中断し、慌てて録画機能のある2階のTVのところまで階段を一段飛ばしで走っていくはめになったのだ。

 そこには、黒塗りの茶碗の内側に、星がきらめき、青白く燃え上がりつつもその輝きを自在に変化させる光彩が映し出されていた。おそらく大自然の営みでしか描き出せないと思わせるような、奇跡的な美しさが画面一杯に広がっていた。人知を越えた存在にしか作り出せないような美しさを、人工物である茶碗の中に捕まえて固定したように見え、大げさに言えば宇宙を流れゆく時間、そして宇宙の中できらめく一瞬の命の光までをも封じたかのような感覚に、私は囚われていた。

 焼き物など全く興味のなかった私だが、この美しさには、すっかり、やられてしまったのだ。

 TVの解説では、この茶碗は「曜変(耀変)天目茶碗」というものであり、中国で宋代に作られた物であるが、現存する3椀は全て日本に存在しており(静嘉堂文庫蔵、藤田美術館蔵、大徳寺龍光院蔵)、またその3椀とも国宝指定されているとのことだった。
 遠藤憲一さんのナレーションで、TVの中では、中国で4つ目の曜変天目が破損した形で発見され、科学的分析を試みようとしたことや、その再現に挑み続ける日本の陶工の苦闘を描いていたように記憶する。


 後に、お宝鑑定のTV番組で、鑑定士が「本物の曜変天目茶碗」であると鑑定したものが偽物かどうかで話題になったので、記憶されている方も多いと思う。

 その国宝である曜変天目茶碗が、今年(2019年)3椀とも公開される。


 龍光院蔵のものが、MIHOミュージアムで
 藤田美術館蔵のものが、奈良国立博物館で
 静嘉堂文庫蔵のものが、静嘉堂文庫美術館で
それぞれ公開される。


 私は、最初に公開時期が到来した、龍光院蔵の曜変天目をMIHOミュージアムで見てきた。
 公開初日、しかも開場20分ほど前にMIHOミュージアム入り口に着いたが、既に30人くらいは並んでいた。開場と同時に、他の展示はさておき、まずは曜変天目茶碗の展示に急ぐ。途中小走りに何人かを抜き、たどり着くと、意外にあっけなくその国宝は姿を現した。暗い部屋に周囲をアクリル板で丸く円柱状に囲われて、照明を浴びつつ少し控えめにその茶碗は佇んでいた。
 なんとか最前列までたどり着き、人混みに押されて顔をアクリル板に押さえつけられたりしながら、おおよそ半周ほどは眺めることができた。さすがに、人垣の後ろで待っている人も多くいる中で、それ以上長時間眺めることは気が引けてしまったのだ。

 映像や写真で見たことのある他の曜変天目茶碗に比べると、派手さに欠けるが、それはそれで味があった。
 普段は参拝客らに公開されていない静かな大徳寺の塔頭で、長い年月の間、様々な事象に遭いながらも大事に保管されてきた状況が、茶碗の雰囲気としてまとわりついているかのようだった。

 素直に、見に来て良かったと思った。


 なお、MIHOミュージアムには重要文化財の耀変天目茶碗も存在する。
 これは加賀の前田家伝来の茶碗であったものが、作家の大佛次郎の手を経てMIHOミュージアムに来たものだそうだ。この茶碗を曜変天目として分類するかについては異論もあるようだが、端正な面持ちの茶碗だった。
 ほとんどの人が国宝の龍光院蔵の曜変天目だけに注目していたようで、MIHOミュージアム蔵の耀変天目の展示ブースには、私の他に人影はなかった。

 

朝日新聞の社説と裸の王様


 3月14日の朝日新聞(社説~WEB版)「法科大学院 改革後も残る課題」には、今般閣議決定された法科大学院在学中に司法試験を受験できる制度について触れられている。それだけを解説しているのなら良いのだが、やはり法科大学院制度万歳と予備試験批判が論旨に出てきている。


 まあ平たくいえば、法科大学院制度改革を口実に、法科大学院擁護と予備試験敵視を読者に刷り込もうとする目論見なのだろう。広告を打ってくれる法科大学院側を擁護するのは営利をも目的とするマスコミの立場上仕方がないが、予備試験敵視も繰り返しすぎると度が過ぎて見えてくる。


 まずいっておきたいが、法科大学院が売り物にする「プロセスによる教育」がかつての司法試験制度に比較して、どのような点で実際に優れているのか、誰も明確にしたことはないし、実証に成功したこともないのだ。

 単に法科大学院導入を目指す学者達が、プロセスによる教育が不可欠だ、優れているなどと言っていただけで、本当にそうかどうか誰も知らないのである。
 また、プロセスによる教育に価値があると仮定しても、そのプロセスによる教育により、実力が身につくかどうかが本当は問題だろう。

 以前から何度も言っているが、予備試験は法科大学院修了者と同等の学識、応用能力、法律に関する実務の素養を有するかどうかを判定するものと法律で規定されている(司法試験法5条1項)。つまり、予備試験合格者は司法試験委員から見て、法科大学院修了者と同等の力を身に付けたものだけが合格できるはずだ。

 裏を返せば予備試験合格者は、司法試験委員から見て「法科大学院で勉強したら、これくらい身に付けているよね」という力を持っているだけで合格できるはずであり、そうだとすれば、予備試験合格者と法科大学院修了者は同レベルの実力を持つはずである。したがって、その後の司法試験において予備試験ルートの受験者と法科大学院ルートの受験者との間に合格率に差が生じることはないはずなのだ。

 ところが実際には、予備試験ルートの司法試験合格率76.0%に比較して法科大学院ルートの司法試験合格率は22.1%にすぎない。

 
 この合格率の差は、司法試験委員が想定する法科大学院修了レベルまでの力を、法科大学院で学生に身に付けさせることが十分できていないことを意味すると考えるのが素直だ。


 法科大学院も法務省も、もちろんマスコミも明確に言う勇気がないのだろうから代わりに言ってやるが、要するに、プロセスによる教育が効果を上げていないことは、司法試験の合格率だけ見ても一目瞭然なのである。


 確かに、旧司法試験には受験技術優先ではないかという批判もあった。金太郎飴答案が多いとの批判もあった。では、法科大学院ができて10年以上経過した今はどうなんだ。
 法務省HPに掲載されている司法試験採点実感を見るとすぐ分かる。

 平成30年度の採点実感には次のような指摘がなされている。

(引用開始)

・表現の自由の一点張りで知る自由が出てこないもの,知る自由の憲法上の根拠として憲法第13条のみを援用するものもあった。
・キーワードは覚えていてもその意味内容や趣旨等を正確に理解していない
・憲法の条項の正確な摘示や法律上重要な語句の正確な表記などに心掛けてもらいたい。これらに誤りがあると,理解そのものがあやふやであると受け止められてもやむを得ない。
基本的な概念の意味を理解していないのではないかとの疑念
・行政法学の基本概念に関する基礎理解が不十分である,又はその理解に問題があると思われる答案があった。
・論理的な構成が明らかでないもの,何のためにその論点を論じているのかを記載せず,論点をそのまま抜き出して,唐突に書き始めるもの,反論の前提となる主張を説明せずに,いきなり反論から書き始める答案など,答案の構成に問題があるものも見られた。
・設問3で親族法・相続法を主たる問題とする設例が出題されているが,上記のとおり,基礎的な知識が全く身に付いていないことがうかがわれる答案も多かった。
・財産法の分野においても,一定程度の基礎的な知識を有していることはうかがわれるとしても,複数の制度にまたがって論理的に論旨を展開することはもとより,自己の有する知識を適切に文章化するほどには当該分野の知識が定着しておらず,各種概念を使いこなして論述することができていない答案が多く見られた。
・条文の適用又は解釈を行っているという意識や代表的な判例の存在を前提にして論ずるという意識を身に付けさせることが重要であろう。
そもそも訴訟物の理解ができていないなど,基礎的な部分の理解の不足をうかがわせる答案も少なくなかった。なお,条文を引用することが当然であるにもかかわらず,条文の引用をしない答案や,条番号の引用を誤る答案も一定数見られた。
定型的な論証パターンを書き写しているだけではないかと思われる答案も少なくなかった
定型的な論証パターンや漠然とした理解をそのまま書き出したと思われる答案が多かった。
・依然としていわゆる論点主義に陥っており,個別論点に対する解答の効率的な取得を重視しているのではないか
いわゆる論証パターンをそのまま書き写すことだけに終始しているのではないかと思われるものが多く,中には,本問を論じる上で必要のない論点についてまで論証パターンの一貫として記述されているのではないかと思われるものもあり,論述として,表面的にはそれらしい言葉を用いているものの,論点の正確な理解ができていないのではないかと不安を覚える答案が目に付いた。
論証パターンを無自覚に書き出したものと思われる
法原則・法概念の定義や関連する判例の表現を機械的に暗記して記述するのみで,なぜそのような定義や表現を用いるのかを当該法原則・法概念の趣旨に遡って論述することができていない答案
条文に関する基本的な知識が不足

(引用ここまで)


 法律の基礎的な理解や条文の理解すらできていない受験生が目白押しだ。
 かつてあれだけ大学が批判していた論証パターンも未だ健在のようじゃないか。 法科大学院で2年以上勉強し、厳格な卒業認定を経て司法試験を受験しているはずの受験生達がこの体たらくである。

 これは受験生が悪いのではない。

 これがプロセスによる法科大学院教育の結果なのである。


 朝日新聞が予備試験を批判することも筋違いだ。
 大手事務所が予備試験ルートの合格者を優先して採用したり、検察庁が予備試験合格者の囲い込みを始めたり、裁判官任官者の最多数が予備試験合格者だったりすることからも明らかなように、プロセスによる教育なんざ実務ではな~んの価値も置かれていない。


 実務では、要はどれだけ、合格者に実力があるかだけなのである。

 いくらプロセスによる教育を経ていても、実力不足で弁護過誤を濫発しかねない弁護士と、プロセスによる教育を受けていなくても弁護過誤が極めて少ない弁護士を比較するなら、世間が前者を望むはずがない。また、弁護士の良し悪しは、一般の方には判断できない以上、最低限法曹としてやっていけるだけの実力を有する者にしか資格を与えないなどとして一般の方を保護する必要もある。
 

 私の記憶なので正確ではないかもしれないが、ある昔話では、現在の地位に相応しくない者や馬鹿者には見えない布地で織った着物を献上したという詐欺師の言にひっかかった王様が、裸で行進した際、1人の子供を除いて多くの者は詐欺師の言を信じて王様の着てもいない着物を褒めそやしたという。

 朝日新聞をはじめとするマスコミは、着物が見えないのは自分が馬鹿者であるかもしれず自分が馬鹿者であることを隠したいばかりに目の前の現実に背を向けて王様を褒めそやす行動に出た多くの群衆であるよりも、裸の王様の前で真実を述べた1人の子供であるべきだと、私は思うのだがな~

大阪弁護士会選挙公営費用

 今年も大阪弁護士会での役員選挙は無投票で終わったが、一応選挙公営費用は精算される。

 大阪弁護士会では立候補時に、選挙公営費用として予納するお金は次の通りだ。

 会長候補(当選者1名)      500,000円
 副会長候補(当選者7名)         300,000円
 監事候補(当選者1名)      70,000円
 総会議長候補(当選者1名)    70,000円
 総会副議長候補(当選者1名)   50,000円
 常議員候補(当選者51名)     20,000円
 日弁代議員候補(当選者43名)   20,000円

 このお金は、会長・副会長候補者のHP掲載料金の他、選挙公報印刷費や、郵送代、封筒代、封入作業量(但し無投票で終わった場合は選挙公報はレターケース配布で終わるため、今年はHP掲載料金と選挙公報費用以外に費用は発生していない)に使われる。


 今年は無投票だったので、会長・副会長候補者のHP掲載料金と選挙公報印刷費しか、使われなかった。


 会長・副会長候補者のHP掲載料金は1人あたり4,725円だった。


 選挙公報のうち、全候補者116名が1頁を使い、会長候補者1名・副会長候補者7名がそれぞれ1頁ずつ、合計10頁使っているので、印刷費用455,760円のうち、
1頁分の45,576円を116人で割り付け、9頁分の410,184円を9人の会長候補者、副会長候補者に割り当てる計算になる。


 したがって、今年の場合、
 会長候補者・副会長候補者の選挙公報費用の負担額は
 410,184÷9=45,578円/人
 全立候補者の選挙公報費用負担額は
 45,576÷116=392円/人


 端数が出た場合は会長候補者が負担するのが慣例なのだそうで、端数の104円は会長候補者が負担することになる。


 よって今年の大阪弁護士会の役員選挙公営費用は

 会長候補者    50,797円/人
 副会長候補者   50,693円/人
 その他の候補者  392円/人
 (※但し、私のように常議員と日弁代議員の両方の候補者であるとすると392円×2=784円必要になる。)

 となっている。

 平たく言えば、常議員に立候補しても400円程度の実費で済むのだ。もちろん、月に2~3回開かれる常議員会に出席して議論する負担は小さなものではないが、弁護士会内でどのようなことが決められ、進められているのかは常議員会に出席しないと、実際にはホント分からない。


 今の大阪弁護士会や日弁連はどこかおかしいんじゃないか、と思われる方は、来年度からでも良いので、どんどん常議員になって頂いて、執行部の現実を見て、議論に参加して頂けたら良いのにと私は思っている。

 ちなみに、来年度の無所属の常議員は私を含めて2名しかいない(他は全て会派推薦か、男女共同参画の推薦)。


 もし、常議員が選挙になった場合、会派の重鎮やエライさんが間違って落選したら洒落にもならないので、仮に無所属の方が7~8人立候補しても、おそらく会派の常議員数を調整して無投票で当選させてくれるものと思われる。


 (選挙がなければ)数百円の費用で、常議員になって、大阪弁護士会の意思決定の現場を見て、参加することができるのだ。

  誰か一緒にやりませんか~?
 

結局国には、物言わないってことか?

 私が参加出来なかったが、常議員会での報告を聞く限り、3月1日の日弁連臨時総会で、菊地日弁連会長が、いわゆる谷間世代問題に関して、会員が長年拠出してきた会費から20億円のお金を谷間世代にばらまく議案を可決させ、そのかわり日弁連は谷間世代問題について国に対する給付を求めていかないと述べたようだ。

 

 結果的に、菊地日弁連会長のやり方は、谷間世代に日弁連会費から20億円ばらまくことと引き替えに、国に対する谷間世代の行動に水を浴びせた(日弁連は、谷間世代のために国に給付を求める行動をとらないことを明らかにした)格好になる。

 結局、菊地執行部のやり方は、他人の(会員の)お金を用いて、谷間世代に目先のお金をばらまき、その給付によって谷間世代の国に対する行動についての火消しを行ったのではないかと思われるが、正確には議事録を見てみないと分からない。

 なお、引き続き国に対して公費を用いた業務拡大を求めていくと述べたようだが、これとて、今まで業務拡大を求めてきた行動となんら変わりはしないので、特に谷間世代に対する対策とはいえないと考えられる。

 さらに、菊地会長は今回の20億円バラマキの他に、更なる谷間世代への施策を考えるとも述べたようだが、ちょっといい加減にしてもらいたい。この件でさらに日弁連のお金を使うのであれば、他の世代も黙っていまい。

 日弁連に備蓄されたお金は、長年、高額の日弁連会費賦課に耐えながらなんとか支払ってきた世代が主に負担したお金と考えてもおかしくはないだろう。

 日弁連会費は、日弁連全員のお金であることをまず考えて欲しい。

 ええカッコするのも勝手だが、他人の(みんなの)お金を湯水のように使わないでもらいたい。

 やるなら、あんたの金でやってくれ