どうして悪人を弁護するのか?~2008.3.31掲載

 知り合いの方や、中学校での講演、そして私が弁護士であると知ったタクシーの運転手さんなどから、私に向けられる質問として、結構多いのが、「どうしてオウムなどの事件のように悪いことをしたと分かり切っている人間を弁護するのか?、さっさと判決をすればいいのに。」という質問です。

 

 確かに、犯罪が発生し被告人もそれを認めているときに、どうしてその人間を弁護する必要があるのか、いちいち裁判する必要があるのか、と思われる方も多いのではないでしょうか。

 

 この点については、刑事手続きがどのように進化してきたかという点と大きく関わる非常に難しい問題です。しかし、誤解を恐れずに敢えて簡単に説明すれば、次のように説明できるかもしれません。

 

 人を処罰する手続を作る際には、基本的な考え方として

 

①疑わしい人間は、例え無実の人がえん罪で処罰を受けることになってもかまわないので、どんどん処罰してしまうべきだとする立場、

②何があっても無実の人が処罰を受けることになってはならないので、そのためには、手続を尽くして審理する必要があるし、相当疑わしい犯人を証拠不足で逃してもやむを得ないとする立場、

 

 の二つが考えられると思います。

 

 そして、現在の日本を初め殆ど全てと言っていいほどの現代国家は、②の立場を採用しているのです。無実の人が処罰を受けることが最もいけないことであると考えています。そのためには、容疑者に弁護士に依頼して防御する機会を与える、きちんと客観的な証拠で事実を認定するなど、適正に手続を尽くす必要があります。

 手続を尽くしていく上で相当疑わしい容疑者が証拠不足であるなら、無実の人を処罰しないために、本当は罪を犯しているかもしれない証拠不足の容疑者を逃してもやむを得ないと考えるのです。

 もちろん②の立場を採用しても、裁判は人間のやることですから100%えん罪を防ぐことはできません。しかし、②の立場は、①の立場をとるよりも可能な限り、えん罪の危険を防ぐことができる可能性が高くなると思います。

 

 現代国家は②の立場を採用しています。それは専制君主時代に、刑事手続きが恣意的に用いられることの恐ろしさを知った人類が、徐々に身につけてきた知恵というべきかもしれません。

 

 確かに、自分が犯人や容疑者でない場合は①の立場の方がいいように思えるかもしれません。しかし、人は過ちを犯すものです。いざ自分が、間違って容疑者にされた場合、①の立場だとどうなるでしょうか。疑わしいのだからさっさと処罰してしまえと言われて、自分の主張もろくに言えずに、えん罪で処罰されてしまう危険が非常に高くなると思われます。①の立場をとっている国にいながら、自分が容疑者にされたときだけ②の立場で扱ってくれと言ってもそれは無理な話です。

 

 このように、まかり間違っても無実の人を誤って処罰してはいけないという考えから、日本では②の立場で、刑事手続きが行われているのです。ですから、一見明らかな犯人であったとしても、弁護人に依頼して自分の主張を述べる機会を与える必要がありますし、きちんと客観的証拠を積み重ねて犯罪を立証していく適正な手続が必要とされているのです。この適正な手続きを省略したり、いい加減にしてしまうと、結局冤罪が生じる可能性が増えてしまいます。ですから、適正な手続きをとれば証拠不足になって、容疑者を罪に問えないかもしれない状況が生じるかもしれません。しかし、それでも冤罪が生じるよりはマシだと考えているのが、日本の立場なのです。

 

 だから、悪いことをしたと分かり切っているように見える被告人にも、弁護人は必要とされますし、きちんと適正な手続で裁判を進める必要があるのです。