ロースクールと法曹の未来を創る会の要請文について~2

(つづき)

第2 要請の理由
1 崩壊の危機にある法曹養成制度と日本社会の危機
(1)半数が「廃校」に
    貴職らもご承知のとおり、本年5月に、立教大学と青山学院大学、そして桐蔭横浜大学が法科大学院の募集を停止した。2004年に法科大学院制度が発足した直後に74校あった法科大学院は、この3校の募集停止により、合計35校が実質的に「廃校」になったことになる。東京、大阪、名古屋、福岡などの大都市圏以外の地域にあった法科大学院は、琉球大学や金沢大学など一部の法科大学院を除いてそのほとんどが廃校となった。また、大宮法科大学院や成蹊大学など、社会人経験者を多く受け入れてきた法科大学院の多くも廃校になっている。残っているのは、東京大学、京都大学、一橋大学などの旧帝大(専門大学)系の国立大学や早稲田大学、慶應義塾大学などの有力私大など、もともと旧司法試験でも合格者を出してきた大学である。しかも、旧司法試験のように、法科大学院を経ないで司法試験に合格する「予備試験組」も増加している。法科大学院制度の発足以来10余年を経た今、法曹養成制度という観点からすると、「先祖がえり」の状況が現出している。

→(ここから坂野の雑駁な突っ込みです)

 法科大学院の廃校を問題視しているようだが、そもそも、大量に法科大学院を認可した時点で、このことは予測されていたはずだ。しかも、これまで司法試験合格者をほとんど輩出したことがない大学までが、法曹養成能力があると主張して大挙して法科大学院認可申請をしたわけだから、優秀な学生を集めるあてがあるわけでもなく、法曹養成のノウハウがあったわけでもないのに、単に学者先生達が、エライ自分達が教えてやれば、司法試験くらい合格させられると安易に考えた結果だったのではないのだろうか。仮にそうでなくても、少子化の観点から大学経営上の必要性に鑑み、認可申請したのであれば、それは法曹を志願する学生を食い物にする発想と、そう代わりがないようにも思う。

 司法試験合格者を多く輩出している法科大学院が廃校していないことから考えると、廃校した法科大学院は、司法試験合格者を多く輩出できなかったため志願者が減少し、採算が取れなくなったものと考えられる。

 法科大学院協会の中心的地位にあり、法律家に対して「世の中の人々のお役に立つ仕事をしている限り、世の中の人々の方が自分達を飢えさせることをしない」「人々のお役に立つ仕事をしていれば、法律家も飢え死にすることはないであろう」と説きながら、自らは東大退官後に、おそらく高額の報酬が見込める四大法律事務所に就職した、髙橋宏志氏の言葉が仮に正しいとするのなら、飢え死にしそうだからといって廃校した法科大学院は世の中の人々のお役に立つ仕事をしていなかった、ということになりそうだ。

 さらにいわせてもらえば、法科大学院が本当に法律家として必要な素養をきちんと教育して学生に身に付けさせ、厳格な修了認定をして、学生に法的素養が身についたことを本当にしっかりと確認して卒業させているのであれば、法科大学院卒業生は、仮に司法試験に合格しなくても、しっかりとした知識とリーガルマインドが身についているはずだから、社会では相当貴重な戦力になるはずだ。したがって、法科大学院が理念どおりに機能していれば、そして、社会が本当に法的素養のある人物を求めているのであれば、法科大学院卒業生は、法科大学院を卒業していること自体が価値になるはずで、一般の学生よりも遥かに就職に有利であり、企業の法務部などから高給で引く手あまたであってもおかしくはないのだ。

 そうなっていれば、法科大学院を出ることは就職に極めて有利に働くはずなので、法科大学院志願者が減少する事態など起きるはずがないのである。しかし、現実には、法科大学院卒業生にそこまでの評価がなされているようには見受けられない。ということは、法科大学院教育が社会にとって有為の人材を生み出すことについて、さして意味がないのか、あるいは社会には法的素養のある人物に対する需要がさほどないということだ。いずれにしても、法科大学院は必要とはいえないことになる。

 次に久保利弁護士は、「法曹養成制度という観点からすると、「先祖がえり」の状況が現出している。」と主張するが、予備試験合格者が極めて絞られていることから見ても分かるように、未だ法科大学院制度は、法曹志願者にとって大きな関門となって残っており、到底先祖帰りなどという状況にはない。

 例えば私は和歌山県の南部の田舎の出身であるが、旧司法試験であればバイトしながらでも独学で勉強して受験することができた。しかし法科大学院制度が作られた後は、原則は法科大学院に通って卒業しなければ司法試験を受験できない。受験資格すらないのである。この原則は予備試験がある現在も変わっていない。

 そうなると、法曹を志願した場合、まず私は、一番近い法科大学院に通学し卒業しなくてはならない。一番近い法科大学院はおそらく大阪になるだろうが、それでも特急で片道4時間近くかかる以上、通学は不可能である。2~3年の学費と下宿代を含む生活費を捻出しなければ(それとも借金できなければ)、司法試験を受験する資格すらもらえないのだ。仮に就職していたのであれば、会社を辞めなくては挑戦できない。夜間の法科大学院があるとか、適正配置だとか適当なことをいってはいたが、田舎の受験希望者のためにサテライト教室を全国各地に設置するという法科大学院はなかったはずだ(もちろん設置しても双方向授業は難しいだろうが)。法曹志願者のために等と、崇高な理念を謳いながらも、法科大学院も経営が成り立つ範囲でしかその理念を実行しようとはしないのだ。法科大学院は飢え死にしたくないのだ。結局法科大学院制度は、都会の通学できる範囲の受験生、数年間働かなくてもなんとかなる受験生をメインターゲットにするものであり、田舎の法曹志願者の職業選択の自由を実質的には大きく侵害しかねない制度でもあったのだ。

 先祖帰りなどとは、ちゃんちゃらおかしい。先祖帰りというのなら、誰もが自由に何回でも受験できる試験に戻してからいうべきだな。

(続く)