弁護士は社会生活上の医師なのか?~2011.08.11の記事を再掲

弁護士は社会生活上の医師なのか?

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 先日、「こんな日弁連に誰がした」(平凡社新書)の著者でもある、小林正啓先生とお話しする機会があった。

 

 そこで、未だに日弁連が「弁護士は社会生活上の医師として・・・・」といいたがる話が出た。小林先生はかつてブログで、「弁護士=社会生活上の医師」という見解を、ばっさり、弁護士の医師コンプレックスであると断言されている。

http://hanamizukilaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/post-34ad.html

 

 もう少し分かりやすくいうと、こういうことだ。

 

 医師の相手は、病気だ。病気は人類にとって絶対的に悪だから、相手をやっつければやっつけるだけ、医師は評価されるし、病気と徹底的に闘う医師の使命を果たすことが、そのまま人類のためになる。

 

 しかし、弁護士が誰かに依頼されて相手にするのは、会社か私人だ(国の場合もあるが)。

 

 会社や私人は、私たちと同様に社会生活を送っている存在だ。弁護士が依頼者の希望どおりに相手をやっつければ、依頼者は満足するかもしれないが、相手方は社会生活上深刻なダメージを受ける可能性がある。弁護士が相手をやっつければやっつけるだけ、誰かが痛い目を見ることになるのだ。

 

 だから、極論すれば、弁護士が社会の隅々で活躍する社会とは、社会の隅々で誰かが痛い目にあわされる可能性がある社会と同義なのだ。

 

 医師の仕事は絶対的善であるが、弁護士の仕事は依頼者にとっての善、相対的善にすぎないのであって、小林先生も指摘されているとおり、弁護士は社会生活上の医師どころか、社会生活上の傭兵と評価することも不可能ではない。

 

 

 弁護士が増えてコストが下がれば、こちらが弁護士(傭兵)を雇いやすくなるから良いじゃないかと単純に考える人もいる。しかし、良く考えてみると、こちらが弁護士を依頼しやすくなることは、こちらを痛い目に遭わせようと考えている人が弁護士を依頼しやすくなることと、表裏一体の関係なのだ。

 こちらが全く悪くなく、完全な言いがかりだけの不当訴訟でも、相手が弁護士を立てて提訴してくれば、やむを得ずこちらも弁護士を立てて防衛するしかない。相手が悪いとしても、こちらが依頼する弁護士にかかるコストは、プロの用心棒を雇うことと同じだから当然、自分が負担せざるを得ないのが原則となる。

 

 「弁護士=社会生活上の医師」とのスローガンの下、新人弁護士が就職難に陥っているにもかかわらず、弁護士をどんどん増加させている、現在の司法改革は、働く宛もないのに「社会生活上の傭兵」を次々と社会に招き入れているようなものだ。

 

 武器は持っているが働く場所(法的需要)もなく、生活できない傭兵は、食うために、その武器を誰かに向けざるを得ない時期がやってくるかもしれない。そのターゲットになる誰かとは、病気やショッカー(by仮面ライダー)のような絶対的悪ではなく、普通に暮らしている貴方かもしれないのだ。

 

 弁護士増員さえすれば、本当に社会の問題が解決していくのか、その考えが正しいものなのか。

 

 もう一度良く考えてみる必要があると思う。

(記事ここまで)

再掲後記

 最近でこそ若干少なくなったものの、司法制度改革が華やかなりし頃、マスコミや経済界、政治家は、こぞって弁護士も仕事を掘り起こせなどと言っていたものです。

 弁護士が仕事を掘り起こすと言うことは、人類共通の敵である病気をやっつけることではなく、社会の他の誰かを痛めつけるかもしれない行動を起こすこととそう変わりがない場合があります。

 例えば、弁護士会が上場会社の株式を一単位ずつ保有して、会社に不祥事の噂が立てば弁護士会が希望者を募って直ちにチームを結成し、取締役らを訴える代表訴訟の準備に入る、なんてことは、企業からすればとんでもないことでしょうが、実はこれも弁護士にとっては立派な仕事の掘り起こしです。しかもコンプライアンスに資する行動ともいえますから、何ら非難を受けるいわれもなさそうです。そのような社会を経済界は望んでいるのでしょうか。

 新聞社や週刊誌にプライバシー侵害や名誉毀損的な記事が掲載されないか、弁護士会が常時チェックをおこない、もしそのような記事があれば直ちに弁護士会が希望者を募ってチームを結成し、名誉毀損された人と一緒に呼びかけてマスコミを訴えるなんてことも、仕事の掘り起こしです。しかも、マスコミの健全な報道に資するといえなくもないでしょう。そのように弁護士が活躍するような社会をマスコミは真に望んでいるのでしょうか。

 自分に向かって矢が飛んでくることが想像できないからこそ、無責任に言いつのることができていたのではないでしょうか。

 弁護士は実力不足でも良いからどんどん資格を与えて競争すべきだ、という人も、医師に関しては実力不足でも良いから資格をどんどん与えて競争させろとはいいません。効果があれば副作用があってもどんどん薬として認可して、消費者の選択に任せれば、そのうち淘汰されていい薬が残るからそれで良いのだという人もいません。

 医師や薬にそのようなことをすれば弊害が生じることが容易に想像できるからです。

 しかも弁護士の仕事の良し悪しは、一般の方にはほぼ分かりません。つまり、競争させるにも選ぶ側から見て良し悪しが分からないのですから、良い弁護士が残るとは限らないのです。むしろ、商売上手、人当たりの良さ、露出の多さなど、弁護士としての実力以外の点で、競争がなされるだけでしょう。

 弁護士の仕事の良し悪しについて区別がつけられない一般の方々が殆どである中で(すなわち、競争の前提が成り立っていない状況で)、本当に弁護士も競争させるべきとして資格を濫発してよいのか、マスコミや経済界の勝手な言い分に惑わされないようにすることも必要だと思っています。