ギャップターム問題ってホンマにあるのかな?

法科大学院制度改革の一つとして、近時ギャップターム問題が盛んに取り上げられているようだ。

 いわゆるギャップターム問題とは、法科大学院修了(卒業)の3月末から、5月に行われる司法試験、司法試験合格を経て、11月末頃から開始される司法修習までに、約8ヶ月程度の期間が存在するが、この期間の存在が法曹志願者の時間的経済的負担になっていると指摘するものである。

 そしてこのギャップタームが解消されれば、激減した法曹志願者が回復に転じるという見通しの下、法科大学院在学中に司法試験の受験を認めようとする制度変更が議論されているようだ。

 確かに、法科大学院卒業と同時に司法修習を開始しようとすれば、法科大学院在学中に司法試験を受験させ、合格させておかなくてはならないことになる。

 しかし、そもそも法科大学院は、司法試験という点の選抜は弊害があると主張し、法科大学院でのプロセスによる教育が法曹に必要だと主張していたはずだった。学生が法科大学院で勉強中であり、卒業もできていない段階という、プロセスによる教育課程の途中で、司法試験を受験させることを主張することは、自ら法曹に必要だと主張したはずの、プロセスによる教育が実は不要であったことを自認するに等しい。

 以前から指摘しているように、大手法律事務所は予備試験ルートの司法修習生を優遇する就職説明会を開催しているし、ついには東京地検までが、予備試験に合格しただけで、まだ司法試験を受験していない者に対して、体験型プログラムを実施する等、検察庁も予備試験合格者の囲い込みに動き出した。

 つまり、法科大学院が、「法曹には法科大学院におけるプロセスによる教育が不可欠なのだ」と、いくら主張しても、実務界では、法科大学院におけるプロセスによる教育などには、全く価値を置いていないというべきなのだ。

 

 実務の役に立たないうえに、税金食いの制度など、マスコミなんかがすぐに批判しそうなモンだが、法科大学院はマスコミを利用して宣伝をしてくれるスポンサーでもあるためか、ちっともまともな批判をしないのは、見ていて悲しくなる。

 そもそも、ギャップターム問題を言うなら、旧司法試験時代だってそれ以上のギャップタームはあった。5月に短答式試験を受験し、7月に論文試験、10月に口述試験を経て最終合格し、司法修習開始は翌年の4月からだった。それなのに、ギャップターム問題それ自体を誰1人問題視することなく、法曹志願者も増加の一途だった。

 それはつまり、当時は、法曹になれば少なくとも食いっぱぐれはないと考えられており、法曹資格はプラチナチケットと言われるだけ法曹という資格に魅力があったのだ。だからこそ、合格率2~3%という狭き門であっても、ギャップタームが大きく存在したとしても、法曹志願者は増加の一途をたどっていたのだ。

 断言しても良いと思うが、いまギャップタームを解消したところで、法曹志願者が急に増加に転じることはないだろう。法曹の職業としての魅力を上げない限り、優れた人材が法曹界を志願しない傾向は変わらないだろう。

 当たり前のことだが、良い人材を得るためには、それに見合った対価が必要だ。ヘッドハンティングをしようとするときに、金か名誉か権力か、とにかく魅力のある提案をしないと良い人材は得られまい。努力や能力に見合ったリターンが得られない道を選択する人間は極めて少ない。

理由は簡単だ。

職業は生活を支える手段でもあるからだ。

 だとすれば、法曹志願者を増やすことは簡単だ。

 現在志願者が激増している医師と同様、その資格の魅力を上げればよいのだ。

 なぜこのような簡単なことがわからないのか。

 いや、分からないふりをして、議論していないのだろう。法曹資格の価値を上げようとするなら、(今さら遅いかもしれないが)司法試験合格者を減少させて資格の価値を上げることが最も効果的だが、それでは法科大学院を卒業しても司法試験に合格できない生徒が激増することにつながり、法科大学院制度の自殺にもつながるからだ。

 法科大学院を維持しようとすることが、いまや、法曹養成制度の桎梏となっていることを直視する必要があるだろう。

  それに、こんなに制度をいじくり回したら、受験生は予測可能性を失い、さらに志願者が減少するだろう。

 もういい加減、(法科大学院維持派の)学者の先生方による、現実無視の議論は止めてもらいたいものだ。