地方法科大学院で司法過疎は解消できるのか?

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 かつて法科大学院が雨後の竹の子のように全国各地に設置された際に、良く言われたのは、司法過疎を解消するために役立つというお題目だった。

文科省の法科大学院特別委員会でも次のような意見が出されている。

法科大学院の地域適性配置は,地方への法の支配の浸透や司法過疎の解消に資するという見地から重要な意味を持っており,当該地域における存在意義や改善努力の状況等を総合考慮した上で,必要があると認められる一定の地方法科大学院には,統廃合等の判断に当たって,時間的猶予を与えるなどの特例措置を認めるべき。また,夜間法科大学院についても,同様に,時間的猶予などの特例措置を認めるべき。(文科省法科大学院特別委員会第53回配付資料3-3)


 私は上記の意見には、全く賛成できない。


 法科大学院があるというだけの理由で、その近辺の法の支配が浸透したり、司法過疎が解消するわけではないから、地方の法科大学院が司法過疎に役立つというのなら、地方の法科大学院を出た人たちの多くが、弁護士になってその法科大学院の所在地近辺で開業しなければ意味がないだろう。
 しかし現実には、弁護士も個人事業者だから、仕事がない土地では生きていけない。どうしても仕事が多く生じる可能性が高い、都会に生活の拠点を求めることが多くなるだろうし、それを責めることはできまい。

 例えば私は京都大学出身だが、私の友人達の中には、京都大学に通学したから京都に就職したという人はほとんどいない。多くの友人は大企業に就職し、個人で事業を起こした人も多くは東京近辺に住んでいる。仕事が都会に集まる以上それは仕方のないことだ。

 地方の法科大学院が、公立医大のように、地域貢献枠などを設けているのであれば別だが、そのような配慮もない状況では、なおさら仕事のある地域に弁護士は進出することになる。裏を返せば、国民の皆様は地域貢献枠まで使って、司法過疎解消のために地元に弁護士を呼ぶ必要性を感じていないということだろう。


 それなのに、なぜ、文科省や法科大学院推進派は、地方の法科大学院が存在すれば、司法過疎が解消すると主張するのだろうか。


 最近、朝日新聞の「オピニオン&フォーラム」で、法社会学者がアメリカで司法過疎がないのは、地元のロースクールを出てロイヤーになった者が地元で働くのが一般的だからだ、という趣旨の主張をしていたという記事をみた。


 しかし、(既に100万人近いロイヤーがいる時代に米国に留学された)鈴木仁志弁護士の「外から見た日本司法の先進性~市民の視点から見たアメリカ司法の実像」によれば、そもそも司法過疎はアメリカでも解消されていないという報告もあったし、その後何らかの事情が変わってアメリカの司法過疎が解消されたという話も聞かない。実証的データも上記の法社会学者は提示せずに、アメリカには司法過疎がないと言い切っている。

 私は、実際にアメリカ現地をみてきた弁護士の方の報告は、書籍で得られた知識などよりも正しい確率が高いと思っているので、上記の法社会学者の、「アメリカには司法過疎はない」という主張は疑わしいと思う。


 それをさておいて、仮に万一、「アメリカで司法過疎がないのは、地元のロースクールを出てロイヤーになった者が地元で働くのが一般的だからだ」という主張に沿うように見える事実があったとしても、それは、ロースクールの地方配置によりもたらされる利点ではなく、アメリカの法制度上、不可避的に生じる問題というべきだと私は思う。


 つまり、アメリカのロイヤーは、州ごとに司法試験があり、州ごとに資格を与えられる。日本の弁護士で留学してアメリカのロイヤー資格を得た人も、肩書きはニューヨーク州弁護士、カリフォルニア州弁護士などとなっているように、ロイヤーの資格は原則としてその州限りである。
 だから、ニューヨーク州弁護士の資格しかもたない人は、仕事が見つかろうがどうだろうが、基本的にはニューヨーク州で弁護士として活動するしかないのだ。

 このようなアメリカのシステムは、地元ロースクールを出た人間が地元で開業せざるを得ないため、一見すれば、司法過疎解消に役立つような誤った印象を与える。


 しかし日本は違う。
 道州制を採っているわけでもないし、弁護士資格は日本全国共通だ。だから、和歌山県出身の私が和歌山でしか弁護士業務ができないというわけでもないし、京都の大学を出ているから京都でしか弁護士ができない、というわけでもない。


 結局、地方法科大学院の存在意義は、地方の法曹志願者が多少通学しやすくなるというだけのことであり(それでも私のように、県庁所在地まで特急で3時間以上かかる田舎出身者には全く意味がない。)、司法過疎の解消には直接関係がないというのが正しい物の見方であろうと私は思う。


 そう難しいことではないのだが、ずいぶんと長い間、地方の法科大学院と司法過疎はリンクして話をされ続けてきたように思う。
 アメリカの結論だけをみて、その結論が良いのだと思い込み、アメリカと日本の制度の違いを無視して、制度の一部だけ猿まねをしてみても、混乱をもたらすだけで良いことなどないと、私は思うんだけどな~。

 一部の学者先生方のアメリカ(国外の制度)礼賛は、度が過ぎているような気がしてならない。