太地町のイルカ漁に提訴の報道

 報道によると、本日NGO団体が、太地町のイルカ漁が動愛法(動物の愛護及び管理に関する法律)に違反しているとして、漁師らの許可処分を取り消すよう、和歌山地裁に提訴したそうだ。

https://www.sankei.com/west/news/190214/wst1902140024-n1.html

 弁護団には、刑事弁護で著名な高野隆弁護士(私も高野先生の作品で勉強させて頂いたこともあり、個人的には尊敬している。)が参加されているとのことだった。

 私は太地町出身でもあるため、漁師さん達がどれだけ頂いた命に感謝しているかは、身近でみてきた。だから、イルカやクジラを可能な限り無駄にしないよう利用させて頂くことに漁師さん達は、ものすごく気を配っていることも知っている。

 クジラを乱獲した上で、単に鯨油だけ搾り取って後は捨てていたかつての欧米諸国や、動物殺しを楽しむ目的でサファリなどを敢行していた連中と、太地町の漁師は絶対的に違うと私は思っている。

 訴状での正確な主張骨子は不明だが、イルカは動愛法の愛護動物に該当するとして、追い込み漁で入江に追い込んだイルカに獣医の診察を受けさせないとかエサを与えていないことを虐待と主張したり、イルカの殺害方法が、「できる限りその動物に苦痛を与えない方法」を求める動物愛護法に違反していると訴えているようだ。

 食用目的で捕獲した野生動物が、形式的に動愛法44条4項「人が占有している動物で哺乳類・・・に属するもの」に該当するからといって、直ちに愛護動物といって良いのかは、なかなか難しい問題があるようにも思う。例えば、同条2項には、「愛護動物に対し、みだりに給餌または給水をやめることにより衰弱させるなどの虐待をおこなった者は」と規定されているように、愛護動物とは、給餌・給水を人間が行うことを前提にした動物を対象にしているという読み方も、不可能ではないように思われる。

 また、そもそもイルカを屠殺する場合に、現行の方法以上に苦痛を与えずかつ経済的合理性のある方法が可能かどうかもはっきりしないように思う。イルカが身動きできないように捕まえて、急所を突く方法などは、現実的には不可能だ。

 屠殺方法も現状では次のように改善されているそうだ。「2008年12月以降は、イルカが死ぬまでにかかる時間を短くするために、デンマークのフェロー諸島で行われている捕殺方法に改められています。この方法では、捕殺時間は95%以上短縮されて10秒前後になりました。イルカの傷口も大幅に小さくなり、出血もごくわずかになりました。」(和歌山県公式見解より)

 なにより、日本における牛・ブタ・鶏の飼育方法、輸送・屠殺の現状が、決して人道的ではない場合もあることは、次のリンクをみて頂ければお分かりになるだろう。

 https://www.hopeforanimals.org/slaughter/

 イルカ・クジラ類の捕獲を批判する方々は、おそらく、動物愛護の精神に長けており、動物全体を愛護しようという崇高な精神で活動、訴訟をされているのであって、自分達の好きなイルカやクジラの生命だけを重視して、牛・ブタ・鶏の命の価値を低く見ているわけではなかろう。

 

 動物の命の価値に差をつけないとするならば、数にすればイルカよりも圧倒的多数の、牛・ブタ・鶏が、人間の都合で人道的でなく殺されている現状(鶏インフルや豚コレラの際の処分だって、人間の都合で罪もない大量の鶏やブタの命を奪っていることに何ら変わりない。処分と言い換えたら命を奪う行為がなくなるわけではないのである)がある中においては、非人道的に奪われる命が圧倒的に多いのだから、そちらをまず改めるべく行動するべきなのではなかろうか。

 私は問いたい。

 動物の命の重さに差をつけていないのであれば、なぜ牛・ブタ・鶏について同様の訴訟を提起しないのか。

 仮に動物愛護を謳いながら、動物の命の重さに差をつけるのであれば、その理由は何なのか。

 その理由が自らの価値観の押しつけになっていないか。

 人間という生き物は、生きるために他の動植物の命を頂かなくてはならない宿命をもった生き物であることを忘れていないか。