宮島のこと(昔話)~その3

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 その後、高速道路を淡々と走行し、宮島行きのフェリー乗り場にバイクを置いて、私は宮島に渡った。

 桜を見に行くのが動機だったはずなのに、何故だか桜が美しかったかどうかについては、あまり覚えていないのである。

 記憶に残っているのは、やたら鹿がたくさんいたことと、厳島神社が素晴らしいということ、あと一つはそこで知り合ったおばあさんのことである。

 確か、干潮で厳島神社の周辺が干上がっていたため、先に紅葉谷公園を散策していたときに、そのおばあさんと知り合ったように思う。どういうきっかけで知り合ったのか忘れてしまったが、私が京都から来たことを話すと、自分も京都に住んでいたことがあるということで、かなり、親近感を持ってくれたようだった。
 だんだん潮が満ちてきたので、海に浮かぶ厳島神社を参拝しようとすると、そのおばあさんは一緒についてきて、厳島神社について、いろいろ教えてくれた。


 問われるままに気楽にいろいろ話していたところ、そのうち、おばあさんは、宿は決まっているのか、食事はとったのか、等と言い始めただけでなく、私の手を握り始めた。

 辺りはだんだん暗くなってきた。
 人通りも減ってきている。

 それとなく手をほどいても、気が付くとまた、おばあさんの手が私の腕にかかっている。

 そして、私の手を握ったまま、予約している宿をキャンセルして、どうしても家に泊まって行けというのである。

 「いろいろ話もあることだし、食事でもしながら話した方が良い」と、おばあさんは仰る。もちろん私の方から初対面のおばあさんに対して、お話ししたいことがあるわけではない。
 しかし、何故だか、おばあさんの頭の中では私がおばあさんの家に泊めてもらうことが早くも既定路線になりかかっている。

 
 辺りはさらに暗くなってきた。

 
 大変失礼なことだが、私の頭をよぎったのは、小さい頃に親から読んでもらった「牛方と山姥」の絵本のストーリーであった。


 山の中で干鱈を積んだ牛を追っていた牛方が山姥に追いかけられ、干鱈をよこせ、牛よこせと要求されてそれらを食われた後に、「今度は、お前をとって食う」といって追いかけられるという、子供にとってはいささかショッキングなお話しだったと記憶する。

 大学生がそんな昔話を思い出して怯えることも可笑しなものだが、確かに、私は怯えていた。私は、大事なバイクを駐車場に置いてきており、ハンドルロックをしたか記憶が定かではないので盗まれる恐れがありとても心配である、などとありもしない心配事をでっち上げて、フェリー乗り場へ逃げ帰ったはずだ。

 今となっては、好意に甘えて京都に住んでいたことのあるおばあちゃんの茶飲み話にお付き合いしておけば面白い体験ができて良かっただろうに、とも思うのだが、当時はそこまで腹が据わっていたわけでもなく、フェリーが宮島の対岸に着いたときにはホッと大きなため息が出たことだけは、鮮明に覚えている。


 確かあまりお客のいないユースホステルに宿泊した翌日、私は、原爆ドームを見学し、ひろしま美術館で鴨居玲の「教会」を見つめた後、お土産も買わずに京都への長い帰路についたのだった。

 よくよくチェックしてみた結果、バイク後輪のスプロケットの留め具が緩んでいることを発見し、冷や汗をかいたのは、京都に戻り、しばらく経ってからのことであった。