不貞慰謝料請求における過失の判断枠組みと破綻の認識――最高裁令和8年6月5日判決の解説
1. はじめに――「離婚する」という言葉を信じた交際は不法行為になるのか
交際相手から「配偶者とは離婚する予定だ」「夫婦関係は冷え切っている」と聞かされて交際を始めたものの、後から相手の配偶者から不貞慰謝料を請求されてしまうというご相談は、法律相談の実務上多く見られます。
従来の実務では、相手の言葉を信じただけでは「注意義務を怠った(過失がある)」と判断され、慰謝料の支払義務を負わされるケースが散見されました。しかし、最高裁判所第2小法廷は令和8年6月5日、たとえ正式な離婚が成立したと信じたことに相当の理由がないとしても、「婚姻関係が既に破綻していると信じ、かつ、そう信ずるにつき相当の理由」があったか否かを検討せずに直ちに過失を認めることは違法であるとする重要な判断を示しました。本記事では、この最新判例を紐解きながら、実務上のポイントを解説します。
2. 事案の概要――同居中だが家計分離・離婚届記入が進んでいたケース
夫(被上告人)と妻Aは平成19年に婚姻し3人の子がいましたが、夫の自己破産や家庭関係の悪化により関係が冷え込み、令和5年6月頃には同居しながらも会話がなく、連絡はメールのみという状態になっていました。夫から離婚の意向を伝えられたAはこれを了承しました。
Aは勤務先代表者の男性(上告人)に離婚の相談をする中で好意を抱くようになりました。令和5年8月、夫からメールで家計を別々に管理することや互いのプライバシーに干渉しないことが提案され、Aはこれに同意しました。Aは署名済みの離婚届を用意した上で、男性に対し、記入済みの離婚届や、夫との間で家計分離・プライバシー不干渉を取り交わしたメール画面を見せて離婚の意思を伝えました。
その後、令和5年10月にAと男性は肉体関係を持ちました。同年11月に夫とAは協議離婚しましたが、夫は男性に対し、不貞行為により精神的苦痛を被ったとして不法行為に基づく損害賠償(慰謝料)を求めて提訴しました。
3. 原審の論理と最高裁の判断――「鵜呑み=過失」の定型判断を否定
原審(高松高等裁判所)は、男性がAから離婚したとの報告を受けていた可能性を考慮して故意は否定したものの、次のように判示して男性に過失を認め、慰謝料請求を一部認容しました。
「離婚したとか婚姻関係が破綻しているなどと虚言を弄して不貞行為に及ぶ者が多いことは世上よく知られているところであって、これを鵜呑みにするのは注意が足りないものといわざるを得ず、上告人において、Aが被上告人と離婚したと信ずるにつき相当の理由があったということはできないから、不貞行為に及んだことについて過失がある。」
しかし、最高裁判所はこの原審の判断を是認できないとし、次のように判示して原判決を破棄しました。
「上告人は、もともとAが被上告人と婚姻関係にあることを認識していたが、Aと肉体関係を持つまでに、Aから、被上告人と離婚するつもりであることを伝えられ、本件離婚届を見せられてもいたのであるから、Aにおいて被上告人と離婚する強固な意思があったことを認識していたというべきである。その上、上告人は、Aから、被上告人から家計を別々に管理することを提案されたと伝えられたり、互いのプライバシーに干渉しないことを提案する旨の被上告人とAとの間の電子メールのやり取りを見せられたりもしていたのであるから、Aと肉体関係を持った当時、Aのみならず被上告人も夫婦としての婚姻共同生活を解消する意向を示していることを知り、婚姻共同生活の実体が既に失われていると認識したこともうかがわれる。以上の事実関係等を前提にすれば、上告人は、Aと被上告人が離婚したと信じたことについては相当の理由があったとはいえないとしても、その婚姻関係が既に破綻していると信じ、かつ、そう信ずるについて相当の理由があったとみる余地がある。そうすると、上告人において、Aが被上告人と離婚したと信ずるについて相当の理由があったとはいえないからといって、それだけで直ちにいわゆる不貞慰謝料の請求を認めるために必要な要素である被上告人の婚姻共同生活の平和の維持に係る権利利益を侵害したことについての過失があるということはできない。」
「上告人においてAが離婚したと信じたことについて相当の理由があったか否かを検討するにとどまり、上告人において婚姻関係が破綻していたと信じ、かつ、そう信ずるについて相当の理由があったか否かを検討することなく直ちに上告人に過失があるとした原審の判断には、過失に関する法令の解釈適用を誤った違法があるというべきである。」
このように、最高裁は「離婚したと信じたことについての過失」と「婚姻関係が破綻していたと信じたことについての過失」を明確に区別し、後者の検討を欠いた原審の判断を違法としました。
4. 尾島明裁判官の補足意見――請求類型と審理の順序
本判決には、尾島明裁判官による実務上極めて重要な補足意見が付されています。
補足意見は、まず不貞行為を理由とする損害賠償請求において、「不貞慰謝料」と「離婚慰謝料」が訴訟物を異にすることを指摘し、それぞれの基本判例を引用して整理しています。
「甲の配偶者乙と第三者丙が肉体関係を持った場合において、甲と乙との婚姻関係がその当時既に破綻していたときは、特段の事情のない限り、丙は、甲に対して不法行為責任を負わないとされる(最高裁平成5年(オ)第281号同8年3月26日第三小法廷判決・民集50巻4号993頁)。」
「夫婦の一方は、他方と不貞行為に及んだ第三者に対して、当該第三者が、単に不貞行為に及ぶにとどまらず、当該夫婦を離婚させることを意図してその婚姻関係に対する不当な干渉をするなどして当該夫婦を離婚のやむなきに至らしめたものと評価すべき特段の事情がない限り、離婚に伴う慰謝料を請求することはできないとされる(最高裁平成29年(受)第1456号同31年2月19日第三小法廷判決・民集73巻2号187頁)。」
その上で、不貞慰謝料の請求における具体的な審理手順について、以下のように明確な指針を示しました。
「まず、被上告人とAの婚姻関係が破綻していたか否かを審理し、破綻していたとするならば、その破綻の時期と上告人がAと肉体関係を持った時期との先後関係を審理し、破綻後の肉体関係であれば、上告人の認識のいかんを問わず、それだけで請求は棄却となる。一方、破綻前の肉体関係と認められるのであれば、被上告人とAの婚姻関係が破綻していたと上告人が信ずるについての相当の理由の有無を審理しなければならない。そして、この相当の理由が認められるのであれば、過失なしとして請求棄却となり、認められない場合に初めて請求認容の余地が生ずるといえるのである。」
そして最後に、「安易で紋切り型の判断に陥らないよう、裁判所及び当事者において、平成8年判例及び平成31年判例の趣旨を十分踏まえて、必要かつ適切な訴訟活動等をすることを怠ってはならない。」と実務への警鐘を鳴らしています。
5. 実務上の注意点
本判決および補足意見を踏まえ、慰謝料を請求する側・請求された側の双方が留意すべき実務上のポイントは次のとおりです。
請求された側の防御としては、単に「相手から破綻していると聞いていた」という主観的な弁解にとどまるのではなく、それを裏付ける客観的証拠を提示できるかが決定的な分水嶺となります。本件のように、別居に至っていなくても、夫婦間のメール(家計分離やプライバシー不干渉の合意)、記入済みの離婚届の提示など、客観的に夫婦関係が形骸化していたことを示す資料を交際時に確認していた事実を具体的に主張立証することが有効な防御となります。
請求する側の主張立証としては、相手方が「婚姻関係の破綻を信じていた」と抗弁してくることを見越し、単に「相手が既婚者と知っていた」という事実だけでなく、婚姻関係が実体を保っていたこと(同居の実態、家計の同一性、家族としての活動実態等)を客観的証拠で立証していく必要があります。また、訴訟物として不貞慰謝料を求めるのか離婚慰謝料を求めるのかを明確に区別し、事案に応じた適切な主張の組み立てを行わなければなりません。
不貞慰謝料の成否は、別居の有無だけでなく、当時の夫婦関係の実態や、交際相手がどのような証拠・経緯に基づいて関係を認識していたかという個別具体的な事情に大きく左右されます。定型的な判断で諦めたり請求を進めたりする前に、当時のやり取りや客観的資料を精査し、適切な法的主張を組み立てることが肝要です。
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