元従業員による顧客引抜きと競業避止特約の有効性――札幌高裁令和5年12月26日判決
はじめに
自社の従業員が退職後に競業他社へ転職し、在職中に担当していた顧客を引き抜いてしまうというトラブルは、企業経営において少なくないリスクです。企業はこのような事態を防ぐため、退職時に競業避止義務を定める誓約書を取得することが一般的ですが、その制限が広範すぎる場合には公序良俗に反し無効と判断されることがあります。本コラムでは、退職後の競業避止義務特約の有効性が争われ、広すぎる部分を無効としつつ合理的な範囲で義務の成立を認め、元従業員に対する債務不履行に基づく損害賠償請求(民法415条1項)を一部認容した札幌高等裁判所令和5年12月26日判決を解説します。
事案の概要
原告(控訴人)は、賃貸物件の管理業務等を営む会社です。被告(被控訴人)は原告の元従業員であり、営業部で物件の管理業務を担当していました。被告は原告を退職する際、「退職後2年間、在職時に担当したかにかかわらず、原告の顧客に対して営業活動を行わない」旨等の誓約書に署名押印して提出しました。しかし、被告は退職直後に競業会社に就職し、在職中に担当していた賃貸物件のオーナーらに対して営業活動を行い、原告との管理委託契約を解約させて競業会社との間で契約を締結させました。これに対し原告は、競業避止義務違反による債務不履行又は不法行為に基づく損害賠償として、逸失利益及び弁護士費用相当額の支払いを求めました。
裁判所の判断基準と特約の効力
本判決において裁判所は、退職後の競業禁止合意の有効性について、使用者の利益確保の必要性、退職した従業員の従前の地位、競業行為の制限の期間・範囲・態様、代償措置の有無・内容等の諸事情を考慮し、合理性がない場合又は合理的な制限の範囲を超える場合には、公序良俗に反し合意全体又は一部が無効になるとの判断枠組みを示しました。その上で裁判所は、原告が費用や労力をかけて構築した顧客との信頼関係を保護する利益を認めた一方、誓約書の内容(退職後2年間、全顧客対象、地域限定なし)は広きに失すると判断しました。もっとも、合意全体を直ちに無効とするのではなく、広すぎる部分は公序良俗に反して無効としつつ、「札幌市内において、退職後6か月の間、競業会社に就職して、在職時に担当していた顧客に対して営業活動を行わない」という合理性が認められる限度で競業避止義務が成立していると判断しました。また、この程度の制限内容であれば、退職直後の不当な勧誘行為を防止するものにすぎないため、代償措置が講じられていなくても有効であると判示しています。
損害賠償額の算定と不法行為の成否
裁判所は、被告が上記義務に違反したと認定し、競業避止義務という契約上の義務に違反したとして、債務不履行に基づく損害賠償責任(民法415条1項)を認めました。損害額(逸失利益)の算定にあたっては、管理委託契約における約定解約権の定めに照らし、解約申入れによって終了しなければ残存していたはずの契約期間の月数を確定し、当該月数分の売上額に物件管理業務における営業利益率(少なくとも50%程度と認定)を乗じて215万円の限度で賠償を命じました。なお、原告が請求していた弁護士費用相当額については、債務不履行責任に基づく請求であるため認められませんでした。また、被告が虚偽の事実を述べて営業活動を行ったとする不法行為の主張は、証拠不十分として排斥されています。
企業が実務上とるべき対策
本裁判例は、広範すぎる競業避止特約であっても、合理的な範囲を超える部分のみが無効とされ、合理的な限度で義務の効力が肯定されて企業側の請求が一部認められた事例として実務上参考になります。ただし、訴訟において常に裁判所が一部有効の解釈をとるとは限らず、内容次第では合意全体が無効とされるリスクも依然として残ります。企業としては、従業員から誓約書を取得する際、保護すべき正当な利益と照らし合わせ、「制限期間」「対象地域」「禁止される行為・対象顧客(自ら担当していた顧客に限定するなど)」を必要最小限の合理的な範囲に設定しておくことが重要です。
弁護士 永井誠一郎
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